祖父と祖母は、仲が良い。
特に甘い会話をするわけではないけれど、
それでも、とても仲が良い。
「もったいないねえ」
これは祖母の口癖だ。
ごはんの時は、いつも自分の茶碗には一番最後によそって、
はしっこの少しかたくなったところを食べていた。
かたい方が好きなんだ、なんて、弱くなった歯で何十回も噛みながら飲み込んでいるのに。
母が、新しいコートや、ショールなんかをプレゼントしても、
祖母は、遠くに出かける時にしか着なかった。
ちょっとそこのスーパーまでだったら、薄くてぼろぼろのカーディガンを羽織って笑う。
「だってもったいないじゃない」
祖父の誕生日は、祖父の好きなものを作ってお祝いするのに、
祖母の誕生日には、いつもと同じご飯。それも、もったいない、らしい。
自分のことは、全部、質素に簡素にする祖母だった。
化粧もせず、しわしわの手でいつも家事をこなし、
たまに将棋をさすのだけが趣味の祖父と、働く父母と、私の面倒をみてくれた。
「おじいちゃんは、おばあちゃんのこと好きだよねえ」
「なんだ急に」
年をとって、背骨が曲がってしまった祖母を、祖父はよくエスコートしていた。
一緒に出かけた時、大きな段差があると、手をそっと差し出して、しっかりと握って支えていた。
家族を想ってよく働く祖母と、支えることを忘れない祖父。
夫婦の理想そのものだ、と、私と父は話したものだ。
それを祖父に伝えると、祖父は曖昧に笑う。
照れ隠しなのかもしれなかった。
祖父が亡くなったのは、割と早かった。
これからという時に病気になって、看護や介護といった世話もなくあっさりと旅立った。
私はとても後悔した。
たとえば、もっと何かプレゼントしたり、一緒に出かけたり。
漠然と、別れはもっと先だと思っていた自分が馬鹿だと思った。
この世の誰も、明日も必ず会えるわけではないのだ。
通夜の席で、祖父の思い出を語る祖母は、穏やかな表情だった。
悲しくないのかと訊いたら、見送ることができただけよかったんだ、と祖父を見つめていた。
私は、数年前に、祖父が言ってくれた言葉を思い出した。
会社で、後輩がミスをしたことや、理不尽な上司に対する愚痴をひとしきり聞いてくれた後、
祖父は、静かに言った。
「相手の間違いを正すことは、必ずしもよいことではない。
相手の間違いを受け入れることも、時には必要だ。
むしろ、相手が間違った時に、自分も間違えてしまうことの方が怖いんだよ。
後悔や懺悔に費やせるほど、人の一生は長くないのだから、
笑っていられることが一番だろう。
どうしたら、自分も相手も笑える未来がやってくるか、
それを考えることが、一番大事なんだよ。
人間は完璧ではない、だからこそ、過ちを犯した時の対処で、その器が決まるんだ」
その時の私は、後輩のミスはともかく、
上司の理不尽さを受け入れることはできなくて、
今の今まで、そのアドバイスを忘れていた。
けれど、人間は完璧ではない、だからこそ、どうするのかということは、
祖母の言葉にも通じている気がした。
祖父母は、理想の夫婦だったと改めて思った。
祖父の一周忌を過ぎてから、祖母は少し、体調を崩すようになった。
七回忌を終えた後には、認知症の兆しが見え、母は仕事を辞めた。
家を出ていた私も、よく実家に帰るようになった。
「賢さん。今日はあたたかいですねぇ」
「賢さん。一緒にお散歩に行きませんか」
「賢さん。そろそろ畑に水を入れないといけないんじゃないですか」
祖父の名は賢二、当時にしてはハイカラな名前だっただろう。
祖母が、賢さん、と呼んでいたことなんて、私は初めて知った。
もったいないが口癖の祖母が、化粧をして、新しい服を着て出かけようとしていた。
もちろん、鏡台をぐちゃぐちゃにしてしまったり、それは母の服だったりしたのだが。
祖母はいつも笑顔で、祖父と仲睦まじく夢の中で暮らしているようだった。
「おばあちゃん、昔はおじいちゃんとこんな感じだったの?」
そう訊ねると、母は首をかしげて言った。
「結婚前じゃないかしら。案外情熱的よね」
「うちって、昔農業やってた?」
「おじいちゃんは次男だからずっと会社勤めだったわよ。
本家は大伯父さんが継いだからね。
でも昔は、畑も手伝っていたでしょうし、
おばあちゃんは、おじいちゃんや大伯父さんと同じ村の出身だから。
子供の頃に戻っているのかもね」
幼い頃何度か行ったことのある、祖父母の故郷は、自然豊かな村で。
青い空とセミの声、庭にいるホタルはとても新鮮な体験だった。
あの村に、祖父は帰りたかっただろうか。
そして祖母も、帰りたかったのだろうか。
今、祖母は、その村で暮らしているつもりなのだろうか。
祖父の十三回忌と時を同じくして、祖母も旅立った。
故郷に帰してはあげられなかったけど、
祖母を評判のよい施設に入れてあげることはできたし、
私たちはよく顔を見せにいったから、見送るまでに、できる限りのことはしてあげられたと思う。
通夜の席では、祖母の人柄から、
きっと、もったいなくて十三回忌と一緒に旅立ったのでは、という話になった。
祖父もきっと祖母を迎えに来てくれたよね、と父母は泣いた。
祖父の遺言には、
祖父母は、故郷の本家の墓ではなく、
祖父の建てた墓に入り、子や孫は墓を守っていくように、とあった。
葬式の費用も、遺産のあれこれに至るまで、
祖母が亡くなった後のことまで、細かくきちんと準備されていたのだ。
祖母は、祖父が眠る、実家近くの寺の、立派な墓に入った。
祖父は最期まで、祖母を大切にし、天国でも共に過ごしたかったのだろう。
祖父と祖母は、仲が良かった。
特に甘い会話をすることはなかったけれど、
それでも、とても、仲が良かったのだ。