遺言

作:早川ふう / 所要時間 10分

利用規約はこちら。 少しでも楽しんでいただければ幸いです。2018.10.27.


祖父と祖母は、仲が良い。
特に甘い会話をするわけではないけれど、
それでも、とても仲が良い。



「もったいないねえ」

これは祖母の口癖だ。
ごはんの時は、いつも自分の茶碗には一番最後によそって、
はしっこの少しかたくなったところを食べていた。
かたい方が好きなんだ、なんて、弱くなった歯で何十回も噛みながら飲み込んでいるのに。

母が、新しいコートや、ショールなんかをプレゼントしても、
祖母は、遠くに出かける時にしか着なかった。
ちょっとそこのスーパーまでだったら、薄くてぼろぼろのカーディガンを羽織って笑う。

「だってもったいないじゃない」

祖父の誕生日は、祖父の好きなものを作ってお祝いするのに、
祖母の誕生日には、いつもと同じご飯。それも、もったいない、らしい。
自分のことは、全部、質素に簡素にする祖母だった。
化粧もせず、しわしわの手でいつも家事をこなし、
たまに将棋をさすのだけが趣味の祖父と、働く父母と、私の面倒をみてくれた。



「おじいちゃんは、おばあちゃんのこと好きだよねえ」

「なんだ急に」
 
年をとって、背骨が曲がってしまった祖母を、祖父はよくエスコートしていた。
一緒に出かけた時、大きな段差があると、手をそっと差し出して、しっかりと握って支えていた。
家族を想ってよく働く祖母と、支えることを忘れない祖父。
夫婦の理想そのものだ、と、私と父は話したものだ。
それを祖父に伝えると、祖父は曖昧に笑う。
照れ隠しなのかもしれなかった。



祖父が亡くなったのは、割と早かった。
これからという時に病気になって、看護や介護といった世話もなくあっさりと旅立った。
私はとても後悔した。
たとえば、もっと何かプレゼントしたり、一緒に出かけたり。
漠然と、別れはもっと先だと思っていた自分が馬鹿だと思った。
この世の誰も、明日も必ず会えるわけではないのだ。

通夜の席で、祖父の思い出を語る祖母は、穏やかな表情だった。
悲しくないのかと訊いたら、見送ることができただけよかったんだ、と祖父を見つめていた。
私は、数年前に、祖父が言ってくれた言葉を思い出した。
会社で、後輩がミスをしたことや、理不尽な上司に対する愚痴をひとしきり聞いてくれた後、
祖父は、静かに言った。

「相手の間違いを正すことは、必ずしもよいことではない。
 相手の間違いを受け入れることも、時には必要だ。
 むしろ、相手が間違った時に、自分も間違えてしまうことの方が怖いんだよ。
 後悔や懺悔に費やせるほど、人の一生は長くないのだから、
 笑っていられることが一番だろう。  
 どうしたら、自分も相手も笑える未来がやってくるか、
 それを考えることが、一番大事なんだよ。
 人間は完璧ではない、だからこそ、過ちを犯した時の対処で、その器が決まるんだ」

その時の私は、後輩のミスはともかく、
上司の理不尽さを受け入れることはできなくて、
今の今まで、そのアドバイスを忘れていた。
けれど、人間は完璧ではない、だからこそ、どうするのかということは、
祖母の言葉にも通じている気がした。
祖父母は、理想の夫婦だったと改めて思った。



祖父の一周忌を過ぎてから、祖母は少し、体調を崩すようになった。
七回忌を終えた後には、認知症の兆しが見え、母は仕事を辞めた。
家を出ていた私も、よく実家に帰るようになった。
 
「賢さん。今日はあたたかいですねぇ」

「賢さん。一緒にお散歩に行きませんか」

「賢さん。そろそろ畑に水を入れないといけないんじゃないですか」

祖父の名は賢二、当時にしてはハイカラな名前だっただろう。
祖母が、賢さん、と呼んでいたことなんて、私は初めて知った。
もったいないが口癖の祖母が、化粧をして、新しい服を着て出かけようとしていた。
もちろん、鏡台をぐちゃぐちゃにしてしまったり、それは母の服だったりしたのだが。
祖母はいつも笑顔で、祖父と仲睦まじく夢の中で暮らしているようだった。



「おばあちゃん、昔はおじいちゃんとこんな感じだったの?」

そう訊ねると、母は首をかしげて言った。

「結婚前じゃないかしら。案外情熱的よね」

「うちって、昔農業やってた?」

「おじいちゃんは次男だからずっと会社勤めだったわよ。
 本家は大伯父さんが継いだからね。
 でも昔は、畑も手伝っていたでしょうし、
 おばあちゃんは、おじいちゃんや大伯父さんと同じ村の出身だから。
 子供の頃に戻っているのかもね」

幼い頃何度か行ったことのある、祖父母の故郷は、自然豊かな村で。
青い空とセミの声、庭にいるホタルはとても新鮮な体験だった。
あの村に、祖父は帰りたかっただろうか。
そして祖母も、帰りたかったのだろうか。
今、祖母は、その村で暮らしているつもりなのだろうか。



祖父の十三回忌と時を同じくして、祖母も旅立った。
故郷に帰してはあげられなかったけど、
祖母を評判のよい施設に入れてあげることはできたし、
私たちはよく顔を見せにいったから、見送るまでに、できる限りのことはしてあげられたと思う。
通夜の席では、祖母の人柄から、
きっと、もったいなくて十三回忌と一緒に旅立ったのでは、という話になった。
祖父もきっと祖母を迎えに来てくれたよね、と父母は泣いた。

祖父の遺言には、
祖父母は、故郷の本家の墓ではなく、
祖父の建てた墓に入り、子や孫は墓を守っていくように、とあった。
葬式の費用も、遺産のあれこれに至るまで、
祖母が亡くなった後のことまで、細かくきちんと準備されていたのだ。
祖母は、祖父が眠る、実家近くの寺の、立派な墓に入った。
祖父は最期まで、祖母を大切にし、天国でも共に過ごしたかったのだろう。
 
祖父と祖母は、仲が良かった。
特に甘い会話をすることはなかったけれど、
それでも、とても、仲が良かったのだ。






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