トーストセットをダージリンで

作:早川ふう / 所要時間 10分

店員(不問)と男性のサシ劇台本としても使えなくはないです。
利用規約はこちら。 少しでも楽しんでいただければ幸いです。2015.03.29.


店員   「いらっしゃいませ」


店員    カウンターから見えたシルエットにほっとした。
      いつも決まった時刻におみえになるのに、今日は20分も遅い。
      少し心配していたけれど、よかった。
      あのお客様の指定席は、カウンター席、右から、三番目。


店員   「……ご注文はいつものでよろしいですか?」

男性   「ええ」

店員   「かしこまりました。少々お待ちくださいませ」


店員   お冷を置くと、お客様は軽く微笑んでくれる。
     あのお客様のオーダーは、変わらない。
     ずっとずっと。
     トーストセットをダージリンで。


店員   「お待たせいたしました」

男性   「いつもありがとう」

店員   「とんでもございません。
      ごゆっくりどうぞ」


店員    カットされた2切れのトースト。
      ……このお客様は、バターの染みたそれに、マーマレードを少しつけ、
      ひとつだけお召し上がりになる。
      紅茶も一杯分だけ。
      だから、ポットには紅茶が少し残ってしまう。

      でも、それも、いつものことだ。


店員   「今日は少し肌寒いですね」

男性   「ええ、確かに。
      外に出たら寒かったので、コートを出していたら、
      いつもの電車に間に合いませんでしたよ」

店員   「ああ……それでいつものお時間ではなかったんですね」

男性   「……もう冬支度の季節なんですね」

店員   「この間まで暑かったのに、
      もうあっという間に寒くなりますよ」

男性   「そうですね。
      日々があっという間に過ぎるようには感じないのに
      季節に目を向けると確かにあっという間だから不思議です」


(間)


男性    あたたかい店内。
   
店員   「いらっしゃいませ。三名様でしょうか、テーブル席へどうぞ」


男性    学生時代から、この店は、まるで時が止まっているかのよう。
      いつ来ても変わらない。
      ずっとずっと。
      変わらないから、ほっとするのだろう。

      カシャカシャカシャカシャカシャカシャカシャカシャ

      小気味よく続く金属音と一緒に、甘い香りが鼻をくすぐる。
      今店に入ってきた連中の注文は、どうやらケーキセットのようだ。
      店員がシフォンケーキをカットし、クリームを盛り付けていた。


男性   「……それは、生クリームですか」

店員   「え? あ、はい」

男性   「……そうやって作るんですね」

店員   「暑い日でしたらアイスを添えるんですが、今日は生クリームを。
      ヨーグルトなんかも合うんですよ」

男性   「そうなんですか」


男性    甘いものはあまり得意ではない。
      しかし何故だか、その甘い香りが、心地よく感じられた。



店員   「お待たせいたしました。
      お先にお飲み物から失礼致します」

店員   「ケーキお待たせいたしました。
      前を失礼致します。
      ……ごゆっくりどうぞ」



男性   「つかぬことを伺いますが、
      注文のたびにクリームを泡立てるんですか?」

店員   「ええ」

男性   「機械は使わないんですか?」

店員   「どうしても間に合わないときは使うんですが、
      なるべく使いたくはないですね」

男性   「どうしてです?」

店員   「お客様、ご自宅に電動泡だて器はございますか?」

男性   「ええ、娘が使っていたので、壊れていなければあるはずですが」

店員   「使っていたところってご覧になったことは?」

男性   「じっと見ていたわけではありませんが、まぁ昔ありますね」

店員   「音、うるさくなかったですか?」

男性   「……ああ、言われてみれば……」

店員   「静かな雰囲気を店側が壊すわけにはいきませんからね。
      お客様には、なるべく、ゆっくりしていただきたいですし」

男性   「なるほど」

店員   「でもこれ、手早くやらないといけませんから、結構重労働で。
      汗かいちゃいますから夏場はアイスにしてるんですよ。
      あ、これは他のお客様には内緒で……」

男性   「ははは……」


男性    ……笑ってから気付く。
      この店で、声を出して笑うのは、どれくらいぶりだったかと。
      この店で、声を出して笑えるほどに、時が流れたのだと。

      人は生きている限り、変わる。
      人は成長する。人は老いる。そういうものだ。
      時が止まることなど、ない。
      時間は、流れ続けるのだ。


店員   「お客様……?」

男性   「……次に来るときは、ケーキセットを注文したいと思います」

店員   「……、かしこまりました。
      お待ちしています」

男性   「ご馳走様」


店員    お客様が席を立った。
      お会計をして、お見送りする。

      そしてわたしはお席を片付けた。
      1切れのトースト、1杯分残ったポット。
      カップとお冷を、ふたつずつ。







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