白く、甘く、願ったもの

作:早川ふう / 所要時間 50分 / 比率 3:0

利用規約はこちら。 少しでも楽しんでいただければ幸いです。2011.05.01.


【登場人物紹介】

ナオ
  店で一番人気の男娼。親に売られてきた過去をもつ。儚げな雰囲気の美青年。

嗣郎(しろう)
  恋人を亡くし、絶望していた会社社長。真面目で温厚。

秋仁(あきひと)
  風俗ビルを経営するオーナー。裏では非合法の高級男娼館を経営している。

タクマ
  SM趣味を持つ客。(登場は冒頭シーンのみ)

アキラ
  少し弱気な客。(登場は中盤シーンのみ)
【配役表】

ナオ・・・
嗣郎・・・
秋仁&タクマ&アキラ・・・


ナオ    目が覚めれば、いつもここにいる。
      夢のなかですら、もう自由を望むこともない……。



秋仁   「ナオ、お客様だ、……支度を」

ナオ   「……はい」

秋仁   「早くしろ。あまりお待たせするんじゃない」



ナオ    俺の命を買ったこの店のオーナーは、
      金回りのいい上客にだけ、特別な『商品』を紹介する。
      俺以外にも何人もいる『商品』たちは、
      そこでオーナーの指示と、客を待ちながら暮らしている。
      ひとり一部屋与えられる牢獄のような空間が、俺たちの世界の全てだ。



タクマ  「お前がナオか? ……へぇ……可愛いじゃねぇか」

ナオ   「……ありがとう、ございます」

タクマ  「その顔が苦痛に歪むところを早く見たいものだ」

ナオ   「……ハイ」

タクマ  「さて、お前はどんなふうに啼くのかな……?」

ナオ   「……」

タクマ  「……怖がりもしない、さすがだな」

ナオ   「……え?」

タクマ  「鞭も針もフィストも何でもありだと聞いている。
      長い夜になりそうだ、クックック……」


ナオ    どんな苦痛でもどんな快楽でも、俺の心はもう、何も感じやしない。
      この悲鳴にもこの嬌声にも、感情がなければ何の意味もないんだ。
      俺に生きている意味はない。
      命を買われたその日から、俺はただ生かされているだけなのだから。
      でも、それでよかった。よかったんだ。



秋仁   「ナオ、お客様だ、……支度を」

ナオ   「はい……」

嗣郎   「……君がナオだね、はじめまして。……うん、そっくりだ……」

ナオ   「……?」

嗣郎   「君はね、僕の好きな人に、とてもよく似てるんだ」

ナオ   「そう、なんですか」



ナオ    その日、とても店の上客と思えないような、落ち着いた雰囲気の男がやってきた。
      男は、俺の隣に座ったまま、ただ話し続ける。
      男は饒舌に語り、俺はただ相槌をうつだけで時間は流れていった。
      いくらで俺が売られているかはわからないけど、
      非合法の男娼館……それなりの額のはずだ。
      だからこそ客たちは、俺たち商品で好きなように遊んでいくのに。



ナオ   「あの……何もしないんですか?」

嗣郎   「え? ……君と話をしているじゃないか」

ナオ   「いや、そういうことじゃなくて……」

嗣郎   「ああ……話をするだけという客は、さすがに珍しいのかな。
      もちろん、君を抱くのは簡単だろう。
      でも、今はそうしたくないんだよ」

ナオ   「……俺は、どうしていればいいのかなって、思って」

嗣郎   「……僕は、君との時間を買った。
      その時間で何をしようと自由だろう。
      今は、話をしたいんだよ」

ナオ   「すみません、こちらは何も言える立場ではありませんでした。
      お客様の、お好きなようになさってください」

嗣郎   「謝ることはないさ。
      けれど、そうだな……じゃあ、頬にキスをしてもいいかい?」

ナオ   「……ええ、どうぞ」



ナオ    それは優しい口付けだった。
      こんなキスを、俺は知らない。



嗣郎   「何故、泣くんだい?」

ナオ   「えっ……」



ナオ    涙が溢れていた。
      泣くなんて、どれくらいぶりだろう?
      涙の止め方すら、俺は忘れてしまっていた。
      とめどなく流れる涙に戸惑っていると、ふわっと男は笑った。



嗣郎   「その泣き方もそっくりだ。
      …………嬉しいよ、君に出会えて」


ナオ    男は、頬をつたう俺の涙を手で拭ってくれた。
      その指先は、とても、とても、あたたかかった。


嗣郎   「また会いにきてもいいかな。
      こんな客が迷惑じゃなければ」

ナオ   「迷惑だなんてそんな」

嗣郎   「よかった。じゃあ、またね」

ナオ   「……はい、またのお越しをお待ちしております」

嗣郎   「……営業用の挨拶は、少しさびしいな」

ナオ   「えっ……、あの……」

嗣郎   「ああ、怒っているわけじゃない。
      ただ君には、僕を待っていてほしいから。
      そんな営業用の台詞じゃなくて、心からの言葉が貰いたいんだよ」

ナオ   「…………」

嗣郎   「こんなことを言う客は、嫌かな?」

ナオ   「そんなことは、ないですけど」

嗣郎   「実は僕はね……君を独占したいと思ってるんだよ。
      他の客に触らせたくない、ともね」

ナオ   「え?」

嗣郎   「こんな店だ。……きっと君も、相当酷い扱いを受けているんだろう?
      少なくとも僕が指名する限りは、君の身体への負担は減ると思うんだ。
      ……どうだろう。卑怯に聞こえるかもしれないが、悪い話じゃないと思う」

ナオ   「……え、あの……」

嗣郎   「だから待っていてくれないか。僕を」

ナオ   「…………はぁ、」

嗣郎   「……まぁ、初めての客の言うことだ、世迷言に聞こえるだろうね。
      簡単に信頼してもらえるとは思ってないよ」

ナオ   「……」

嗣郎   「ただ、次に来た時に、僕の名前を呼んでくれるかな?
      君におかえりと言ってもらえたら、嬉しいんだが。
      ああでも、客だからといって、様付けは勘弁してくれよ?」

ナオ   「……はい、わかりました。次にお会いできましたら、その時には」

嗣郎   「約束だよ。じゃあ、またね」



ナオ    はい、なんて、本気で言ったわけじゃない。
      でも。



ナオ   「嗣郎さん」



ナオ    次に会った時に呼ぶであろう名前を、そっと呟いてみる。
      柔らかく微笑むあの人に、俺はまた会いたいと思っていた。



(間)



秋仁   「ナオ、支度を」

ナオ   「……はい」

嗣郎   「やあ」

ナオ   「!? ……昨日の今日で?!」

嗣郎   「約束どおり来たよ。
      …………言ってくれないのかい?」

ナオ   「……ぁ、いらっしゃ……じゃなくて……、その……
      おかえりなさい、嗣郎さん」

嗣郎   「うん、ただいま」


ナオ    次の日、オーナーに連れられてやってきたのは、昨日の男だった。
      また会いにくるよ、と言った客は今までに何人もいた。
      けれど、次の日すぐ来るなんて、常連客だって、そんなことをした人はいなかったのに。
      オーナーが去った後、昨日と同じように、ベッドに腰掛けてただ話すだけ。
      店の営業時間めいっぱいに俺を買い続けること、一週間。
      なんてことのない世間話をしたり、ただ寄り添って眠るだけ、なんてこともあったけど、
      さすがに俺も戸惑っていた。


嗣郎   「ナオ。そんな深刻なカオをして、どうしたんだい?」

ナオ   「俺は、何をしたら、いいんですか」

嗣郎   「何をしたら?」

ナオ   「俺に、何を求めているんですか?」

嗣郎   「何をって……最初に言わなかったかい?
      僕は君と過ごしたい、それだけだよ」

ナオ   「こんなのって、初めてで……
      嗣郎さんが、何を求めていらっしゃるのか、
      俺はどうすればいいのか、やっぱりわからないから……」

嗣郎   「はは……君はとても真面目なんだね」

ナオ   「真面目……?
      こうするようにと教え込まれたことを何一つせずに時間が過ぎていくことは、
      俺にとっては当たり前じゃないんですよ」

嗣郎   「僕がその当たり前を変えてあげると言ってるんだ。
      通い続けてもまだ信じてはもらえないのかな?」

ナオ   「何を信じろって言うんですか。
      俺はこの店の『商品』なのに……」

嗣郎   「商品、か……。
      君が本当に持ち帰りのできる商品だったら、
      いくら払っても買って帰るのになぁ」



ナオ    俺を見て、好きな人に似てるんだ、とこの人は言った。
      この人が求めているのは俺じゃない。
      それだけは、はっきりわかっていた。
      ……俺はこの店の「商品」。それを咎める立場にはない。
      求められるものを客に提供する、ただそれだけを考えていればいいんだ。
      たとえそれが、恋人の面影でも。
      だから俺は……。



ナオ   「嗣郎さんは、どうしたら喜んでくれますか?」

嗣郎   「え? 僕はじゅうぶん喜んでいるよ?」

ナオ   「この店が相当金を取ってるのはわかってます。
      でも、その額だけの働きを俺ができてるとは思えません……」

嗣郎   「……君とこうしていることにそれだけの価値があると思っているんだが……
      君にとっては、僕が君を抱いた方が気が楽なんだろうね」

ナオ   「……そう、ですね。そうかもしれません。
      ここは本来、そういう店、ですから」

嗣郎   「……そう……わかった」

ナオ   「……っ……」

嗣郎   「(抱き寄せ頭を撫でる)……君の髪、甘い香りだ」

ナオ   「そう、ですか?」

嗣郎   「きっと君自身も、甘いんだろうね」

ナオ   「ぁ……んっ…………っ」



ナオ    唇を重ねられた瞬間、ほっとしたのは確かだ。
      これでやっと、「仕事」ができる、と。
      深く求めあっていくうちに主張し始めた嗣郎さんの下半身を、
      俺はやんわりと撫でながら、ジッパーを下ろす。
      そっと唇を離して屈み、嗣郎さんのモノを口に含んだ。



嗣郎   「っ……」

ナオ   「ん…………っ……」

嗣郎   「ふっ……っ…………ぁ、……」

ナオ   「……んっ…………ふっ……ん、……」

嗣郎   「どうして、そう……かわいいこと、をっ……」

ナオ   「っ……ぅ…………ん……ッ…………」

嗣郎   「ッ…………、まったく……君は……」

ナオ   「あ…………」

嗣郎   「もういいよ……今度は僕の番だ……」



ナオ    ひとたび行為に入れば、嗣郎さんの馴れた手つきに、俺の身体はすぐ反応した。



嗣郎   「敏感な身体なんだね……」

ナオ   「んっ、……あんっ…… ぁあっ……」

嗣郎   「そう、ここも感じるんだ……?」

ナオ   「やっ、やぁあっ、…………だめっそこだめぇ……」

嗣郎   「感じてばかりだね…………」

ナオ   「んンんんっ!!!」

嗣郎   「……かわいいよ」



ナオ    けれど、がっかりもしていた。



嗣郎   「もう濡らしてる……」

ナオ   「っ、」

嗣郎   「……今にもイキそうじゃないか……」

ナオ   「ぁ……んっ……、や、……も、もう……」

嗣郎   「そんなに目を潤ませて…………我慢できないのかい?」

ナオ   「ご、ごめんなさっ……んっ……」

嗣郎   「かわいい子だ……さあ、僕の口の中に出してごらん?」

ナオ   「あ、あ……っ! や! そんなっ……に、したら……
      んっ……んっ……ぁぁん!!!」

嗣郎   「ん……っ……」



ナオ    ……この人は、客、なんだ。



嗣郎   「もっと気持ちよくしてあげたいけれど……、
      そろそろ我慢ができそうにない」

ナオ   「はぁ、はぁ、はぁっ……あっ、んっっ……」

嗣郎   「ああ……こんなにひくひくさせて……
      君も、こうされるのを待っているんだろう?」

ナオ   「ぁあっ……はっ……はんっ……」

嗣郎   「挿れるよ……」

ナオ   「あ、あ……うううっんっ!!!!」

嗣郎   「さあ、もっと啼くんだ」



ナオ    いくら、毎日のように来ていても。
      こちらが言うまで身体を求めてこなくても。



嗣郎   「はぁ……はぁ……はぁ……はぁっ……」

ナオ   「んっ、んあっ……、はあんっ……」

嗣郎   「そろそろ……イく、よ……」

ナオ   「……俺も、イクっ、イっちゃ……、
      ぁ、あっ、あ、あ、あっあっ あぁぁぁぁあぁ!!」

嗣郎   「くっ……」



ナオ    それでも、この人は今までの大勢の人と同じ、客、なんだ。



嗣郎   「…………つらくないかい?
      一週間、僕がずっと一緒にいて、シてなかっただろう」

ナオ   「営業前にきちんと準備はしてありますから平気です。
      仕事、ですから」

嗣郎   「そう…………。
      けれど、つらかったらちゃんと言ってくれ。
      君に無理はさせたくない」

ナオ   「はい」

嗣郎   「と言いつつ、僕ががっついてしまいそうだ」



ナオ    ……胸が痛いのは、なぜだろう。
      身体は快楽に溺れているのに、思考だけが妙にはっきりとしていた。
      とっくに捨てたはずの感情が、わきあがってくる。
      「クルシイ」。
      なぜだろう?
      どうして俺は、クルシイんだ?



(間)



嗣郎    あの子を失ってから、僕の人生はもう終わったと思っていた。
      逃げるように仕事に没頭し、会社は大きく成長した。
      勝ち組、成功者と称えられはしたが、
      使いきれないほどの金を手に入れても
      あの子が隣にいた日々に戻れるわけではなく、そのたびに、絶望する。

      そんな僕を見かねて、周囲が結婚をすすめてきたが、全て蹴った。
      他の誰かで紛らわせることなんかできない。
      僕が隣にいてほしいのは、あの子だけ。
      そう思っていたはずだった。
      秘書が、信じられない顔でナオの存在を報告してくるまでは。

      最初は、そんな店に出入りするつもりはなかった。
      たとえあの子に似ていたとしても、それはあの子ではない。
      頭でそうわかっていたのに、もう一度会いたい欲求が勝ってしまった。
      店の上客になるために、飲みたくもない酒を飲み、抱きたくもない女も抱いた。
      店に金をおとすフリをして、ずっと、ナオに会える日を待っていた。
      そして、やっと、その機会はめぐってきた。



秋仁   「嗣郎様は、もう普通の商品では満足できないのでは?」

嗣郎   「この店に通って半年……だいぶ遊ばせて貰ったからね」

秋仁   「いかがでしょう、……殺さない限りは何をしても構わない商品があるのですが」

嗣郎   「ほう、それは興味があるね」

秋仁   「ただ、それなりに値は張りますがね……」

嗣郎   「野暮なことは言うものじゃないよ」

秋仁   「失礼いたしました。では、リストをお持ちいたしましょう」


嗣郎    その時の僕の感動は、きっと誰にもわからないだろう。
      商品リストの写真に懐かしい顔を見つけ、
      思わず叫びそうになった口元をおさえ、震える声を、興奮に見せかけた。


嗣郎   「この、ナオという子?
      かわいいじゃないか。気に入ったよ」

秋仁   「さすが嗣郎様、お目が高い。当店の売れっ子ですよ、ナオは」

嗣郎   「ぜひ買わせてもらおう。
      ……いつもどおり、カードでかまわないのかな」

秋仁   「いえ、この商品は、表に出すことはできませんので、
      すべて現金での前払いをお願いしております」

嗣郎   「なるほど。いくら出せばいいのかな?」

秋仁   「大体、このくらいのお値段で……」


嗣郎    最初から、貸し切るつもりだった。
      写真を一目見た瞬間から、もう誰にも触れさせたくないと思っていた。
      オーナーの下卑た含み笑いを受け流し、
      ナオに会って二人で話をしてしまえばなおさら、その想いは強くなった。
      予約は受け付けないというオーナーに、
      「気に入ったからぜひ」と、賄賂を渡してまで、強引に一週間貸し切った。
      ナオが戸惑っているのはわかっていた。
      身体を求めることもせず、話をするか、寄り添って眠るだけ。
      こんな客が物珍しいのはわかる。
      それでも僕は、誰といるよりも癒されたし、この時間が必要だと心から思えた。
      最初は無表情だったナオも、話をするなかで、時折、微笑んでくれるようになった。
      少しずつでも、感情を見せてくれるようになって嬉しいと思った。
      今日が最後の七日目。
      もちろん、帰る際に、オーナーに貸し切りの延長を申し出る予定ではいたが……。



ナオ   『嗣郎さんは、どうしたら喜んでくれますか?』



嗣郎    そんなふうに言われるとは思わなかった。
      あの子と同じ声で言われたら。
      あの子と同じ顔に、瞳に見つめられたら。
      僕の理性は簡単に吹き飛んでしまった……。



ナオ   「ん……あれ……?」

嗣郎   「少し、寝ていたようだね」

ナオ   「も、申し訳ありませ……」

嗣郎   「いいんだよ。穏やかな寝息が可愛かったよ。
      無理をさせてすまなかったね。大丈夫かい?」

ナオ   「だいじょうぶ、です。
      ……あの、嗣郎さん」

嗣郎   「なんだい?」

ナオ   「……満足、していただけましたか?
      俺は、その、……似てると仰っていた嗣郎さんの想い人とは別人だけど、
      でも、せめて、……その…………」

嗣郎   「ナオは本当に真面目な子なんだねぇ」

ナオ   「えっ!?」

嗣郎   「……? どうかしたかい?」

ナオ   「いえ……あの……」

嗣郎   「ナオ? ……ぁ、っと!
      断りもなしに呼んでしまってすまない。
      ナオ、と呼んでも、かまわないかい?」

ナオ   「それは、その、……嗣郎さんのお好きなように……」

嗣郎   「ナオ。君は、あの子とは……僕の恋人とは違う。
      僕はちゃんとわかっているつもりだ。
      確かに、指名したきっかけはあの子に似ているからだけれど……
      今は君と、……ナオと一緒に過ごしたい、それが本音だ」

ナオ   「嗣郎さん……」



嗣郎    確かに初対面のあのとき以来、僕はナオの名を呼んだことはなかった。
      僕はナオとあの子を重ねて、あえてナオと呼ぶことを避けていたのだろうか。
      でも、あの子はもういない。
      ……ここにいるのはあの子ではない、ナオだ。
      確かに双子かと思うほど、よく似ている。
      けれど、あの子はこんなに生真面目に物事を考えるような性格ではなかった。
      むしろナオとは、正反対だった。
      同じ顔だからそれでいいのかと問われれば、何も言えない。
      ただあの子とは別に、僕はナオを必要としている。
      それが全てだった。



嗣郎   「ナオ」

ナオ   「はい」

嗣郎   「僕は君を、身請けしたいと思ってるんだ」

ナオ   「みうけ??」

嗣郎   「君を買い取りたい、と言えば伝わるかな?」

ナオ   「え……」



ナオ    初めて身体を重ねた後、
      嗣郎さんは俺の名前を呼んで、俺と一緒にいたいと言ってくれた。
      それから一ヶ月、一日も欠かさずに俺を買い占めているけど、
      買い取りたいなんて、何かの間違いだと思ったんだ。
      そんな言葉は現実的じゃないし、……信じられなかった。



嗣郎   「ナオの過去を僕は知らない。
      今も、無理に訊こうとは思わない、もちろん話したいというなら別だがね。
      けれど、ここから君を自由にする金額は知っておきたいね」

ナオ   「何を仰っているんですかっ?」

嗣郎   「僕はこの一ヶ月、ずっと君を買い続けてきた。
      でも、僕の他に君の客が来なかったわけじゃないんだ。
      君を買い占めることができるよう、オーナーにお願いしたんだ」

ナオ   「……どうしてそんなことを……」

嗣郎   「ずっとナオと一緒にいたかったから」

ナオ   「でも、そんな……」

嗣郎   「僕が買い占めないと、誰かが君に触るだろう。
      それがどうしても我慢できなかったんだ」

ナオ   「でも俺はこの店の『商品』で、それ以上でもそれ以下でもないんですよ?」

嗣郎   「……一ヶ月という約束だったから、独占できるのも、今日がしまいでね。
      だから、ナオに話をしたいと思った。
      ナオ。……この店を出たくはないかい?」

ナオ   「え……?」

嗣郎   「ここを出たいと思ったことがないわけじゃないだろう?
      なれるものなら自由になりたいと思ったことはあるはずだ」

ナオ   「自由なんて……もう忘れました。
      そんな今更……」

嗣郎   「相当な金額なんだろうね。
      でも、僕にはそれだけの資産がある。
      たとえそれですべてを失ったとしても、
      君の自由が買えるなら、僕は喜んで資産を処分しよう」

ナオ   「いけません……!
      自由なんてっ、僕は欲しくない!!」

嗣郎   「……では言い方を変えよう。君の自由にはさせない。
      僕はナオの残りの人生すべてがほしいんだ」

ナオ   「そ、そんな……」

嗣郎   「僕の元へ来てくれないか?」

ナオ   「やめてください!!!」

嗣郎   「ナオ……」

ナオ   「俺は『商品』です、『商品』なんです!!!」

嗣郎   「どうしてそう頑なになる!?」

ナオ   「……両親の作った借金のせいで、ここにきた時に、
      もう俺の人生は終わってるんです……。
      自由も、夢も、希望も何もかも、人の望むものは全て捨ててるんです!」

嗣郎   「つらかっただろうね。
      捨てざるをえなかったのだろうとは思う。
      しかし取り戻せないわけじゃないんだ!」

ナオ   「いらない!!!
      ……もう何も変わらなくていいんです!」

嗣郎   「そんな悲しいことを言わないでくれ。
      決して悪いようにはしないから!」

ナオ   「聞きたくないです……!」

嗣郎   「ナオ……!!」

ナオ   「俺は『商品』です……!」

嗣郎   「ナオ……」

ナオ   「本当にもうやめてください。
      俺は『商品』だから。
      俺がどうすればいいのかを決めるのは俺じゃない。
      オーナーです」

嗣郎   「……わかった。この件はオーナーと話をする。
      だから最後に答えてくれないか?」

ナオ   「……」

嗣郎   「……僕とずっと一緒にいるのは、嫌かい?」

ナオ   「…………っ、」

嗣郎   「…………僕のことは、……嫌いかい?」

ナオ   「……………………、……いいえ」

嗣郎   「それだけ聞ければじゅうぶんだ。ありがとう、ナオ」

ナオ   「……」

嗣郎   「迎えに来るよ、絶対に」



ナオ    もう何がなんだかわからなかった。
      そっとキスをして部屋を出ていく嗣郎さんを、俺は無言で見送った。
      いつもそうだ。
      もう『おかえりなさい』と言う事はないだろう、と思いながら見送って、
      そして、『ただいま』と扉を開ける嗣郎さんを……俺は……待ってる。
      この気持ちは一体何なんだろう。
      いままでのどんな客とも違う。
      嗣郎さんは俺にとって、いつの間にか、特別になっていたんだ…………。
      けど……。



秋仁   「ナオ、お客様だ、……支度を」

ナオ   「はい」

アキラ  「…………こ、こんにちは……」



ナオ    あの日以来、嗣郎さんは来なくなった。
      迎えに来ると言ったのに……どうして?
      だからといって、オーナーに何か訊けるわけもない。
      俺はただただ、時間が過ぎるのを待つしかなかった。



アキラ  「……あのっ……、ぼくのこと、抱いてくれますか?」

ナオ   「ええもちろん。どういうのがお好みですか?」

アキラ  「え?」

ナオ   「優しく? それとも激しく? 何かお好きなプレイがあれば仰ってください」

アキラ  「……痛いのは、苦手です。
      でも、何も考えられない位、激しくされたい……、全部忘れたいんです……」

ナオ   「……かしこまりました、ではベッドに」

アキラ  「はい……」



ナオ    何も考えたくないのは、俺の方。 
      特別だと認識してしまったら『商品』でいることがつらいから。
      ……わかっていたはずだったのに……。
      俺は『商品』で、ただあの人が俺を買いにくることを待つしかできない存在。
      なのに何で?
      両親にここに連れて来られた日に、全て捨てたはずの感情を
      何で思い出させたの?



アキラ  「んっ、あっ……はっ……ぅ、んっっ」



ナオ    ……希望なんか、持ってはいけなかった。
      特別だなんて感情を抱いてはいけなかった。
      わかっていたはずだった。
      もう信じない、もう何も感じない、全て忘れようとしたはずなのに。
      嗣郎さん、あなたが思い出させたんだよ。
      なのに俺のすべてを壊していなくなるの?



アキラ  「あっ……ああっ……イイっ……そこ、もっと……もっとっ!!」



ナオ    俺は馬鹿だ。
      それでも俺は、あなたを待っていたいと思ってしまう。
      どんな痛みにも苦しみにも耐えて。
      どんな客の相手でもこなしながら、ただあなただけを待ちたい……。
      いつか迎えにきてくれる日を、あと少しでいいから夢見ていたい。



アキラ  「イくっ……っ、イっちゃう……あぁあっ」

ナオ   「かわいいですね……。
      そんなに我慢ができませんか?」

アキラ  「……おねが……ぃ……一緒に……イって……、中に……出してっっ」

ナオ   「一番奥に、刻み込んであげますよ」

アキラ  「ああっ、あんっ……、きてぇっ、おねがっ……」



ナオ    これは、恋? それとも愛? ただの執着?
      もしかして、俺が思いつかない、まったく別の感情なんだろうか。



アキラ  「……あっ あっ あっ あぁんっ…………!!!!!!!」



ナオ    どうしてだろう…………すべてがモノクロにみえる。



アキラ  「ぼくも、あなたの中に入りたいな……普段ネコばっかりなんですけど。
      もっとシたくて……だめですか?」

ナオ   「お時間が大丈夫なのでしたら、いいですよ」

アキラ  「ぼくの中、気持ちよかったですか?」

ナオ   「はい……とても」

アキラ  「かわいいんですね、あなたって」

ナオ   「ありがとうございます」

アキラ  「身体の相性合うのかなぁ。すごく感じちゃった……
      今度は、ぼくがあなたの中で出してあげる」



ナオ    ……この世界は、どんな色をしていたっけ?



(間)



嗣郎    ただナオと一緒にいたいと思った。
      それだけだったんだ。



秋仁   「ご冗談にもほどがある……ナオを身請けしたいなどと」

嗣郎   「冗談ではありません。
      これは真面目な商談ですよ、オーナー」

秋仁   「まぁあれだけナオを買い続けて、ご執心なのはわかりますがね。
      そんなにナオがお気に召しましたか?」

嗣郎   「彼にかかった元手で彼を買おうとは思っていません。
      元手プラス、彼を一日貸し切る額×365日×20年分を考えています」

秋仁   「ほう」

嗣郎   「まぁ、彼が20年後も同じ額を稼いでいるとは思いませんが、
      ナオがいなくなることで、上客へのフォローも必要でしょう?
      手数料も含めて、そちらの言い値をお支払いしようという話です」

秋仁   「ずいぶんと気前のいい……。
      いくらでもかわりのきく人形にそこまで払いますか?」

嗣郎   「気に入った人形は手元に置いて、一人でゆっくり遊びたいと思うものでね」

秋仁   「……なるほど。これは一本取られましたね」

嗣郎   「いかがですか?」

秋仁   「……確かにいいお話ですが、ナオを手放すわけにはいきません。
      金の卵はまだまだ成長するでしょうからねぇ」



嗣郎    オーナーは、どれだけの条件を提示しても、首を縦には振らなかった。
      その話をしたあとで、予約を受け入れてもらえるわけもなく。
      店に顔を出しても、ナオを買うことすらも断られた。



秋仁   「長らくお待たせしているお客様がいらっしゃるんですよ。
      何せあの子は売れっ子ですからね。
      よかったら新しく入った子を試されてはいかがですか?」



嗣郎    ナオ以外会う気にもなれない。
      けれど、今この瞬間にも、ナオはあの部屋で他の客に組み敷かれているのだろうか。
      ああ……考えただけで気が狂いそうだ。
      ……ナオはどうしているだろうか。
      僕を待っていてくれるだろうか。
      きっと、このままでは何も変わることはないだろう。
      全てを失う覚悟で挑まなければ、
      もう一度ナオと会うことすらできないかもしれない。

      たとえ全てを失ったとしても、ナオがいればそれでいいじゃないか。
      もとから資産をすべて投げ出すつもりだったのだ。
      捨てるものが多くなっただけのこと。
      ナオのいない人生など、何があってもなくても変わらないだろう?



(間)



ナオ    ……その日はいつもと違っていた。
      あわただしいような、なにか不穏な空気が漂っていて、おかしかった。
      オーナーの定時の見回りも15分も遅れている。
      確かに忙しい人なんだろうけど、俺たち商品のチェックを欠かすことはなかったのに。
      そのとき、荒々しくドアが開くと、オーナーが俺の胸倉をつかみ、怒鳴った。


秋仁   「ナオ!!! お前の差し金なのか!?」

ナオ   「え?! なんのことですか!?」

秋仁   「株の動きがおかしくてそっちを調べていたら、油断した……!
      これからこの店に警察の一斉捜査が入るとよ!!」

ナオ   「警察!?」

秋仁   「お前じゃないのか!?」

ナオ   「俺にそんなことができるわけないじゃないですか!」

秋仁   「その身体でうまくたらしこんだ客の誰かに頼んだんじゃねぇのか!
      お前を身請けするなどとほざきやがったやつとかなぁ!!」

ナオ   「え? ……あ……嗣郎さん!?」

秋仁   「ここまで養ってやった恩を仇で返すような真似しやがって!!」

ナオ   「痛っ……放してください! 何するんですか!!」

秋仁   「おかげで当分日陰にいなきゃならねえが、臭いメシを食うよりはマシだ。
      お前も来るんだよ!」

ナオ   「え!?」

秋仁   「お前さえいればまた金はいくらでも稼げる。
      警察が来る前に高飛びするんだよ、お前も一緒にな!」

ナオ   「俺も!?」

秋仁   「ヤツの魂胆はわかってる。
      このどさくさに紛れてお前を攫おうってんだろうからなぁ……
      お前を置いていくわけにはいかないんだよ!!!」



ナオ    ここにいたらどのみち警察に捕まるわけで。
      俺に選択肢はなかった。



秋仁   「さっさと走れ!」



ナオ    何年ぶりだろう、外に出るのは。
      もう出ることなどないと思っていた、外の世界。
      一緒に歩くのはあの人がよかったけれど……



嗣郎   「ナオ!!!!」

ナオ   「っ! 嗣郎さん!?」

秋仁   「来たか。やっぱり貴様の仕業だったんだなっ」

嗣郎   「こちらが頭を下げているうちに、素直に頷いてくださればよかったんですよ」

秋仁   「こんな人形ひとつのために、ここまでするのか!」

嗣郎   「ええ、しますよ。
      ……僕にとっては、“こんな人形ひとつ”ではないんでね」

秋仁   「ちっ……」

嗣郎   「ナオをどこへ連れていくつもりです?
      ……今なら、まだ間に合いますよ」

秋仁   「何がだ」

嗣郎   「ナオを渡していただけるのなら、警察の動きだけは止めましょう。
      株価の件はどうしようもありませんが、
      最初に提示した金額は約束どおりお支払いしますよ。……いかがですか?」

秋仁   「ふざけたことを! ぶっ殺してや……!! ……っ!?」

ナオ   「え、…………オーナーっ?」

秋仁   「貴様……なに……を……」



ナオ    オーナーがポケットからナイフを取り出し構えた瞬間、突然倒れた。
      カランカランとナイフが転がる音がやけに耳に残る。
      俺から死角になっていた嗣郎さんの手に、注射器が握られていた。



嗣郎   「……筋弛緩剤を注射してやっただけさ」

ナオ   「筋弛緩剤……?」

嗣郎   「こいつはもう動くことも喋ることもできない。
      そのうち心臓も止まるだろう。
      もう心配いらないよ、ナオ」

ナオ   「え……オーナーは、死ぬんですか……?」

嗣郎   「運がよければ助かるだろうが、
      こんなヤツが死んだところで、別にどうということもないじゃないか」

ナオ   「そんなっ、……だって……」

嗣郎   「……さあ、もう誰にも邪魔はさせない。
      僕と来てくれるだろう?」

ナオ   「どこへ……?」

嗣郎   「会社も、個人資産も処分してきた。
      僕を縛るものはもう何もない。
      ……海外へ行こう。もうここへは戻らなくていいんだ。
      僕は、君と生きていたい。
      生きようと、もう一度思わせてくれたナオ、君と一緒に!」

ナオ   「…………俺は、……俺はっ……」

嗣郎   「ナオ!」



ナオ    そう、確かに、考えた。
      嗣郎さんが迎えにきてくれる未来を夢見た。
      けれど、俺が望んだのは本当にこんなことだっただろうか。



嗣郎   「もう一度訊こう。君はもう外の世界にいる。
      追ってくる者もいない、君を縛るものはもう何もない。
      僕と一緒にいこう。……僕とずっと一緒にいるのは、嫌かい?」


ナオ    嫌……なはずがない。
      でも。
      どうしても素直に飛び込めない。
      好きな人の手を汚させてまで、外の世界に飛び出して? それで?
      この手をとった先に、本当に、『未来』が、ある?


嗣郎   「ナオ……」

ナオ   「……嫌、じゃない。……、けどっ!」

嗣郎   「君を幸せにしたいんだ!」

ナオ   「! ……幸せ、に?」

嗣郎   「君と、僕と、二人で。幸せに生きよう」

ナオ   「……それは……」

嗣郎   「(唾を飲み込む)」

ナオ   「…………でき、ない」

嗣郎   「ナオ!?」

ナオ   「嗣郎さん……。俺は、勇気がないんだ」

嗣郎   「何の勇気が必要だっていうんだ!?」

ナオ   「幸せになんかなりたくないんだ……!」

嗣郎   「どうして……!?」



ナオ    『幸せにしたい』、『幸せに生きる』……
      俺には無理だ……。
      そんな言葉は、…………苦しすぎる。



嗣郎   「ナオ……そんなに幸せを望むことが怖いのか?」

ナオ   「違う……違う……っ!!
      俺が望んでいたのは…… 幸せなんかじゃない……」

嗣郎   「何が望みだ! 君は何が欲しいんだ!!」



ナオ    ……望んでしまったのは自由。ただそれだけ。
      幸せというものにすら縛られるのを拒むほどに、ただ自由がほしい。
      それは、俺の弱さだ。
      幸せになる勇気なんて、俺にはないんだよ、嗣郎さん。



嗣郎   「君と一緒にいられるなら、何でもする」

ナオ   「ありがとう、嗣郎さん…………でも」

嗣郎   「僕はもう愛した人を失いたくないんだ!!!」


ナオ    ごめんね。嗣郎さん。
      だって、俺が望むのは……俺の願いは……。



嗣郎   「ナオ…………」



ナオ    視線の先に、きらりと光るものがうつった。
      それを手にして、そして。


嗣郎   「ナオ……! …………っ!?」

ナオ   「……さよなら…………」

嗣郎   「ナオ………………ッ…………」


ナオ    嗣郎さんと二人。一緒にいられた時間は、とても楽しかったよ。
      …………涙が、一筋、こぼれて、落ちた。







Index