鬼姫恋伝(おにひめれんでん)-月の章-

作:早川ふう / 所要時間 50分 / 比率 3:0

利用規約はこちら。 少しでも楽しんでいただければ幸いです。2012.09.06.


【登場人物紹介】

水無月(みなづき)
  由緒ある家柄の嫡男で隠密。年齢は10代後半〜20代前半。
  家に与えられている御役目が特殊な為、
  家を捨てて月子と駆け落ちをするが、家からも、
  また元より敵対する者達からも、狙われてしまう。
  戦闘術は幼い頃よりひととおり仕込まれている。
  良くも悪くもまっすぐな性格。

月子(つきこ)/緋左鬼(ひさき)
  不思議な術を操り、偶然から水無月を助け、見初められるが、
  その正体は、鬼の世界を束ねる双子鬼。
  鬼の身でありながら、人間の子を宿し、
  鬼としての力をなくしたことに戸惑いながら、
  水無月を慕う想いのみで、駆け落ちをする。

蒼右鬼(♂そうき)
  月子の兄。鬼の世界を束ねる力を持つ。
  緋左鬼を鬼の世界に連れ戻す為に、月子を追う。
  自分と、そして月子の命を護る為ならば、手段を選ばない。
  人としては残酷にうつるが、
  実は妹のことを一番に思っているだけで、情には厚い。


【配役表】

水無月・・・
月子・・・
蒼右鬼・・・



(夜の山道。響く雨音。
 男が周囲を気にしつつ、
 手に荷物を抱え、足元がおぼつかないなか、必死に走ってくる。
 草木をかきわけ、洞窟の入り口にたどりつき、中に入る。
 洞窟内。
 身重の女性がひとり、わらを重ねただけの寝床に
 横になっている。)



水無月   「すまない、遅くなった!
       かように暗い洞窟にひとり、心細かったろう」

月子    「いえ、私は大丈夫です。
       貴方様こそ、追っ手もありましたでしょう、ご無事でなによりです」

水無月   「あの程度、撒くのは容易い。
       それにこの嵐だ、敵も今夜は動けまい」

月子    「ええ。そうですね」

水無月   「この嵐は、そなたの術か?」

月子    「え?」

水無月   「また術が使えるようになって、
       俺を守るために嵐を呼んだのかと思っていたが」

月子    「……これは、私の護りの者の力です」

水無月   「式神か?」

月子    「え、えぇ、そのようなものです」

水無月   「しかし……気配はないな?」

月子    「嵐を起こせば消えるだけの、弱いものなので」

水無月   「なるほど」

月子    「どれだけ集中しても、
       今の私には簡単な術すら使えません。
       術さえ使えていれば!
       貴方様をこんな危険な目になどあわせはしないのに……」

水無月   「そのような顔をするな。
       本来、おなごを守るは男の役目。
       そなたは信じて待っていればよい」

月子    「でも……」

水無月   「……後悔、しているのか?」

月子    「いいえ、後悔などは、」

水無月   「しかし、そなたはずっと、悲しい目をしている」

月子    「……。
       立派な家も、大切な御役目もある貴方様を、
       このように追われる身にしたのは私です。
       けれどどうしても、貴方様と共にいたかった……。
       それは私のまことの願い、後悔はしておりません。
       けれど、やはり、申し訳がないと……」

水無月   「役目を放り出し、家を出たおかげで、追われる身となりはしたが、
       元より追われることの多い役目だったゆえ、
       こんなものには慣れている。
       それに俺は、そなたと、腹の子と、三人で静かに暮らせればそれでよい。
       家にも役目にも、俺は何の未練もないのだから、
       そなたが申し訳なく思う必要は微塵もありはしない」

月子    「水無月様……」

水無月   「むしろ、身重の身体に無理をさせている俺の方が、
       何度頭を下げても足りないくらいだ。
       すまない」

月子    「そんな、頭をお上げください!」

水無月   「では、……笑ってくれ」

月子    「え?」

水無月   「笑ってくれれば、頭を上げよう」

月子    「笑えば、よろしいのですか?」

水無月   「そなたが笑ってくれれば、俺に怖いものなど何もない」

月子    「ご冗談を」

水無月   「まことのことだ。そなたが俺に教えてくれたのだぞ。
       人を愛することの素晴らしさ、
       そしてそれが、生きる、ということだと」

月子    「……素性も知れず、しかも怪しげな術まで使う私などを、
       愛してくださったのは貴方様です……」

水無月   「そなたはそなただろう。
       それに、たとえ何者であろうとも、
       そなたが俺の命の恩人であることに変わりはない」

月子    「恩人などと、大げさな」

水無月   「大げさではないだろう。
       そなたがいなければ、俺の命はあそこで尽きていたのだから」

月子    「てっきり私を追ってきた者かと勘違いをして
       術を使ってしまったのです。
       殺めてしまった者達には、悪いことをしました」

水無月   「しかし、結果的にそなたは俺の危機を救い、
       不思議な術で怪我も治してくれた。
       感謝している」

月子    「そんな……」

水無月   「そなたの不思議な儚さに惹かれ、森に通い詰めたものの
       なかなか俺の気持ちを信じてはくれなかったな」

月子    「それは……」

水無月   「恩人を無下にはできぬと迫り、
       結果口説き落とすまで至った自分の強引さには、自分でも呆れた」

月子    「ふふふ……何度お断り申し上げても、足を運んでくださるから、
       根負けしてしまいました」

水無月   「やっと話をしてくれるようになり、
       想いが通じて、契りを結べたのは、満月の夜だったか」

月子    「はい……。
       その時でしたね。私に『月子』と名前をくださったのは」

水無月   「閨事(ねやごと)の最中に名を呼べぬのは不便だからな。
       ……と、とにかく!
       子もできて、俺はやっと、惚れたおなごを娶れたわけだ。
       かようにしつこい男だぞ俺は。
       だから!
       俺の気持ちが変わることなど有り得ない! わかったか!」

月子    「……これは、おかしなことですね。
       嬉しいはずなのに、涙が止まりません」

水無月   「泣くほど嬉しいのはよいが、あまり泣かれるのも、困るぞ?」

月子    「ふふふ。水無月様、私、幸せです」

水無月   「欲のないことを。
       子が無事生まれたら、親子三人、もっと幸せに暮らそう」

月子    「……ええ。
       そうできたら、どんなによいか……」

水無月   「心配いたすな。そなたと腹の子は、必ず俺が守る」

月子    「水無月様……」

水無月   「だから。
       さあ、もっと笑ってくれ」

月子    「はい……(にこっと笑う)、……はっ!?」(警戒)

水無月   「どうした?」

月子    「水無月様、追っ手の気配がいたします」

水無月   「何っ」

月子    「人の気配が。ひとつ。ふたつ。……、五つほど」

水無月   「五人か」

月子    「洞窟に気付いてはいないようですが、近くにおります」

水無月   「……気付かれる前に、始末してこよう。
       あっと……(抱えていた荷を置き、開けながら)
       水と、握り飯を調達できた。食べられるか」

月子    「まぁ、こんなに!」

水無月   「そなたは滋養をつけ、丈夫な子を産むことだけを考えていればよい」

月子    「はい(笑顔)」

水無月   「(満足そうに)行ってくるぞ、月子」

(出て行く水無月。
 握り飯には手をつけず、水を一口飲み溜め息を吐く月子。)

月子    「術さえ使えれば先見ができるのに、
       今は気配を感じ取るだけで精一杯。
       まるで人にでもなったみたい……。
       ……、気配がひとつ消えた、水無月様が戦っている……。
       水無月様はどう思うだろうか。
       私の正体を知っても、まだ、愛すると言ってくださるのかしら……」

蒼右鬼   「それは無理な相談じゃないかな」

月子    「ッ、この声は……!!!」

(周囲を見渡す月子。姿は見えない。)

蒼右鬼   「声を発するまで気配も感じ取れなかったのか。
       どこを見ている、僕はここだよ」

(洞窟の入り口に近い、月子の正面にあらわれる蒼右鬼。)

月子    「っ!
       蒼右鬼(ソウキ)兄様……」

蒼右鬼   「月子、とはまた、綺麗な名を貰ったね。
       僕達にはとても似つかわしくないけれど。
       ねぇ? 緋左鬼(ヒサキ)」

月子    「……まさか、兄様が直々にいらっしゃるなんて……」

蒼右鬼   「人間なんぞにたぶらかされた哀れな妹を救うのに、
       僕が来なくてどうするんだい?」

月子    「たぶらかされただなんて!
       私は望んであの方と共にいるのにっ」

蒼右鬼   「それとも、たぶらかしているのは緋左鬼の方なのかな?
       そうまでして人間と遊びたかったの?」

月子    「違うっ」

蒼右鬼   「それとも子供が欲しかったの?
       生まれたての赤子は美味しいものね?
       わざわざ自分で産まなくても
       食べたいって言ってくれれば僕が用意してあげたのに」

月子    「やめて!
       何て恐ろしいことを……!!」

蒼右鬼   「恐ろしい?
       はは、何を言ってるの緋左鬼。 
       そんなに人間の真似事は楽しい?
       どんなに隠したところで、僕達は鬼、
       人間なんて、ただの食べ物で、遊び道具じゃないか」

月子    「やめてやめてやめて……!!」

蒼右鬼   「……へぇ。
       どうやら、本気のようだね。
       あの人間を愛しているのかい?」

月子    「……ごめんなさい兄様」

蒼右鬼   「あの人間と共に生きていきたいの?」

月子    「はい……」

蒼右鬼   「人間のフリをしてまで?」

月子    「……っ」

蒼右鬼   「忘れたの?
       僕達は、鬼のなかの鬼。
       鬼の世界を束ねる運命(さだめ)の双子だということを」

月子    「……忘れるはずがないわ」

蒼右鬼   「人間と生涯を共になんて、
       できないことだとわかっているだろう?」

月子    「でも、今の私は、もう、人と同じだわ」

蒼右鬼   「ほう?」

月子    「何故かはわからないけど、術が使えなくなってしまったの。
       私を護ってくれていた鬼も次々といなくなって、
       小鬼(こおに)すらもいないのよ。
       兄様の気配だって、感じることができなかったじゃない」

蒼右鬼   「確かに、そうみたいだね」

月子    「だったら力を失った私のことは放っておいて。
       鬼の世界は……兄様さえいれば平気でしょう」

蒼右鬼   「いいや。事はそう単純じゃない」

月子    「え?」

蒼右鬼   「だから僕が来たんだよ」

月子    「どういうこと?」

蒼右鬼   「いいかい、落ち着いて聞くんだ。
       お前は、……子を産めば、死ぬ」

月子    「えっ……!?」

蒼右鬼   「鬼は、命あるものすべてを滅ぼすことしか許されない。
       人間や、動物や、草木ですらも、そして同族さえもね。
       我々はそういう運命(さだめ)なんだ」

月子    「滅ぼすことしか許されない……」

蒼右鬼   「緋左鬼、お前は人間と契りを交わし、その身に命を宿した。
       鬼の運命(さだめ)を捻じ曲げたんだ。
       だから術が使えなくなった」

月子    「……でも、……それでどうして、死ぬことになるの?」

蒼右鬼   「鬼は何かを生み出すことはできないということだよ。
       お前が腹の子を産み落とすことは、許されないことなんだ。
       産めば必ず、お前の命は尽きる」

月子    「嘘……」

蒼右鬼   「残念ながら、本当だ。この古い書物に書いてあるからね」

月子    「水無月様やこの子と共に、生きることはできないというの……?」

蒼右鬼   「この書物を疑うのは簡単だ。
       しかし、お前が死ぬと、僕も力の半分を失うとある。
       鬼の世界を司る双子鬼は、必ず二人揃っていなければいけないのだから、
       お前をみすみす死なせるわけにいかないんだ。
       僕達の故郷の為にもね」

月子    「そんな……」

蒼右鬼   「鬼の身で人を愛するなど……お前は甘かったんだよ、緋左鬼。
       今ならまだ間に合う。
       僕が腹の子を殺してあげる。
       もちろん、お前に痛みひとつ与えやしない。
       腹の子さえいなくなれば、全ては元に戻るだろう」

月子    「……」

蒼右鬼   「二人で、帰ろう。僕達の世界へ」

月子    「待って。……まだ、待って」

蒼右鬼   「どうして? 何を迷うの?」

月子    「……ねえどうしてもだめなの?
       だって諦めきれないわ!
       私は水無月様とこの子と三人、幸せになりたかっただけなのに……」

蒼右鬼   「そんなの、最初から無理だとわかっていたはずだろう?
       いくら姿を変え、喋り方を真似たところで、
       あの男はただの人間。
       そして僕達は、鬼なんだよ緋左鬼」

月子    「それでもできない!
       この子を殺すなんて。無理よ。できないわ!」

蒼右鬼   「僕の力で記憶を消そう。
       あの男のことも子供のことも、全て、忘れさせてあげる」

月子    「待って!
       ……お願い。時間を……。少しでいいの。
       心を整理する時間を頂戴……お願い、兄様」

蒼右鬼   「……わかった。一日待とう。
       明日の夜、答えを聞きにくる」

月子    「わかったわ」

蒼右鬼   「明日までは、僕の鬼にお前を護らせる。
       心残りのないように過ごしなさい」

月子    「……えぇ。ありがとう……」

蒼右鬼   「いい子だ。……じゃあ、また明日ね」

(消える蒼右鬼。泣き伏す月子。)

月子    「……うっ……っ……あ、ぁあああああああっっ」



(洞窟の入り口近く。
 多少の手傷を負った水無月が、岩に腰掛け、雨で傷を洗っている。その表情は暗い。
 ふと嵐が弱まる。)

蒼右鬼   「……戻りづらくさせてしまったかな?」

水無月   「誰だ!?」

蒼右鬼   「妹が世話になってるね。
       一応、名乗っておこうか。僕の名は蒼右鬼(ソウキ)。
       貴様が月子と呼んでいる僕の妹、緋左鬼(ヒサキ)の兄だ」

水無月   「兄君!?
       だ、大事な妹御(いもうとご)を勝手に連れ出したことは、
       幾重にもお詫びする、しかし……」

蒼右鬼   「上辺の謝辞はいらないよ。
       僕達の話を聞いていたんだろう?
       妹は気付かなかったようだけどね」

水無月   「……」

蒼右鬼   「貴様のそれは、気丈なのか、阿呆なのか。
       鬼が怖くはないのかな?」

水無月   「人にしか、見えぬ。
       鬼なのか? そなたも、月子も」

蒼右鬼   「あぁ。僕達は、鬼だ。
       貴様もあれが不思議な術を使うのを知っているんだろう?
       あれこそが鬼の力よ。
       人を真似た姿を捨て、本来の姿に戻れば、力はあの比ではないぞ」

水無月   「まこと、鬼、なのか……」

蒼右鬼   「くどい。
       僕達は鬼の世界を束ねる者、
       本来なら、貴様ごとき人間が僕達と言葉を交わすなど
       有り得ないことなんだ。
       ましてや、緋左鬼を妻にするなど……!」

水無月   「有り得ないと言われても、俺達は出会い、愛し合った!」

蒼右鬼   「そうだね。……妹をもっと監視しておくべきだったと後悔しているよ」

水無月   「……っ」

蒼右鬼   「(溜め息)
       人間の分際で、妹をどうやってたぶらかしたんだ?」

水無月   「……我が家は代々隠密として宮家にお仕えしている。
       あれは丁度、他国が鬼を使役しているとの情報を得て、
       真偽を確かめる御役目の途中……」

蒼右鬼   「へぇ! 人間ごときが鬼を使役するだって?
       気まぐれに遊んでやっているの間違いだろうに」

水無月   「鬼を探し他国に潜入したものの、証拠はつかめず、
       敵に正体を悟られ、山奥で戦闘になり、深手を負った。
       死を覚悟したその時、追っ手を切り裂いたのが月子だった……」

蒼右鬼   「はっはっは!
       よかったじゃないか、探していた鬼が見つかって!
       宮家とやらからご褒美がもらえるんじゃないか?」

水無月   「俺はもう家も御役目も捨てた!」

蒼右鬼   「それで? その探していた鬼を娶った気分はどうだい?」

水無月   「月子が何者であろうとも、共に生きると決めて都を出た!
       たとえその正体が鬼だとしても、気持ちは変わりはしない!!」

蒼右鬼   「……いい目だ。
       なるほどね。妹が懸想するのも、わからなくはない」

水無月   「?」

蒼右鬼   「貴様、同族になる気はないか?」

水無月   「なにっ?」

蒼右鬼   「子は諦めてもらう。
       が、貴様が同族となれば、緋左鬼と共にいさせてやることはできる」

水無月   「俺に……鬼になれと……?」

蒼右鬼   「子を産めば、緋左鬼は死ぬんだ。
       それはもう理解したか?
       貴様はどちらを選ぶ? 妻と子、どちらの命を助けたい?」

水無月   「くっ……」

蒼右鬼   「貴様も即答ができないのか。
       下等な人間ゆえ、仕方がないのだろうが、
       妹もすっかり毒されているんだろう」

水無月   「命を生み出すことのできない鬼には到底理解できますまい。
       父とは、母とは、そういうもの。
       子を慈しみ、育てるとは、並大抵のことではない。
       特に母親というのは、その腹に十月十日(とつきとおか)、命を宿す。
       腹で慈しみ我が子を育て、命を賭して産み落とす。
       それが人の親というもの。
       我が子とは、もとより命に匹敵する存在なのだ!」

蒼右鬼   「緋左鬼は鬼だ、人間ではないよ」

水無月   「しかし、命を宿した今、親の心を理解している。
       月子は人間だ。俺の愛する妻だ!!」

蒼右鬼   「……と、吼えたところで、事態が変わるわけじゃない。
       腹の子の命なんか知ったことか。
       僕は、僕と、妹の命を護ることを最優先に、行動するだけさ」

水無月   「鬼の住まう異界を統べる御役目のある兄君においては、
       その行動は当然、それに異を唱えるつもりはありません。
       ……月子の記憶を消し、傷つかぬようにとの配慮もこの耳で聞きました。
       鬼というものが、決して兇悪なだけの存在ではないのだと……」

蒼右鬼   「(遮る)わかったような口をきくな!
       僕は今すぐ貴様を喰らって、妹を連れ帰ってもいいんだ!」

水無    「ここで約束を違(たが)える兄君だとしたら、
       月子も、兄君を信頼せず、逃げているのではないですか」

蒼右鬼   「……まったく、胆がすわっているじゃないか。
       人間にしておくのは惜しい。
       さっきの話、考えておくがいい。
       まる一日、時間はある。……天秤はどちらに傾くかな?」

(蒼右鬼、消える。
 嵐がまた強くなる。
 水無月、溜め息をつくと、洞窟の入り口に入っていく。)



(洞窟。
 握り飯を半分食べ、半分を持ったままの月子が
 うつろげな表情で座っている。)

水無月   「追っ手はすべて片付けた。もう心配ない」

月子    「あ、お帰りなさいませ……」

水無月   「ああ」

月子    「……」

水無月   「どうした、握り飯は今はきついか」

月子    「……水無月様」

水無月   「なんだ?」

月子    「私、私……(涙があふれる)」

水無月   「月子……」

月子    「(泣きながら)申し訳ありません、……何も、何もないんです、ただ、涙が、」

水無月   「謝ることはない」

月子    「水無月様……っ」

水無月   「…………泣くな、という言葉は酷だろうか」

月子    「(泣きながら)
       困らせるつもりではないのです、本当に申し訳ありません……でも、……」

水無月   「先ほど、表で兄君とお会いしたよ」

月子    「えっ……兄と、話を?!」

水無月   「ああ。……明日そなたを連れて帰ると仰っていたが……」

月子    「……」

水無月   「お怒りではあったが、そなたの身を案じておられた。
       お優しい方なんだろう」

月子    「……ええ。とても」

水無月   「思えば、そなたについて知らないことが多いな。
       俺に嫁ぐことはできない身の上だということくらいしか……」

月子    「申し訳ありません……」

水無月   「すまない、責めているわけでは」

月子    「私の家は……、何もすることがない場所でした。
       私はただそこにいるだけ。生きる意味など何も見出せなかった」

水無月   「兄君から、そなた達兄妹には大切な御役目がある、と伺ったが?」

月子    「兄様さえいれば、私などいなくてもよいと思っていたのです。
       ですから、私は兄様の目を盗んでは外に出て、
       気ままに旅をして過ごしていました」

水無月   「おなごのひとり旅は、危なかろうに」

月子    「私には、術がありましたから」

水無月   「ああ……そうだったな」

月子    「けれど、貴方様と出会い、この子を宿して、
       私は、ようやく生きる意味を見つけたと思いました。
       やっと幸せの意味を知ったのです。
       ……なのに、まさか兄が私を連れ戻しにくるなんて……」

水無月   「猶予は一日。長いのか、短いのか……」

月子    「私は、もうどうしていいのか……。
       貴方様と離れるなど、考えられません。
       けれど、家に戻れば私は……私は……」

水無月   「……月子」

月子    「はい」

水無月   「愛している」

月子    「っ!」

水無月   「……愛している。そなたを、愛している」

月子    「私も、私もでございます。
       水無月様、愛して(口付けられて)……んっ……」

水無月   「……(抱きしめる)
       親子三人静かに暮らすなど、無理な夢だったのだろうか」

月子    「そう思いたくはありません」

水無月   「どうにも、ならないのか。
       どうしても離れなければならないのかッ……」

月子    「探しましょう。共に暮らせる未来への道を。
       明日の日が落ちるその時まで、私は諦めません」

水無月   「俺とて、諦めたくはない」

月子    「今は、もっとこうしてきつく抱いていてくださいませ」

水無月   「月子」

月子    「この子ごと、抱きしめていてくださいませ……」

(間)

水無月    愛する妻と子を手放すなど考えられず、
       たとえ鬼となる道を選んだところで、子の命は失われる。
       今生で結ばれぬ運命(さだめ)ならば、
       いっそのこと、来世に望みを託そうか。
       子を殺し、鬼となり、月子と二人生きる道より、
       来世で人として三人、出会えることを信じて自害した方が、
       はるかに希望があるように思えていた。



月子     きっと兄様は日が落ちたその瞬間に迎えに来るだろう。
       抵抗しようものなら、水無月様の命すら、奪いかねない。
       そして私の記憶を消してこの子を……。
       兄様自身と私の命を、そして鬼の世界を守る為に。
       けれど私は諦めない。
       水無月様も、この子も、守りたい。
       それが私の生きる意味、生まれた理由だと、知ってしまったのだから。

 (間)

(朝。洞窟。
 二人寄り添い朝を迎えた。
 月子はほとんど寝てはいない。
 月子の隣には古びた書物が置かれている)

水無月   「月子」

月子    「はい」

水無月   「今、何を考えている?」

月子    「ふふ、昨晩から、何度そのご質問をなさるおつもりですか?」

水無月   「そなたは不思議なほど落ち着いている。
       もしや何か妙案でもあるのか?」

月子    「……いいえ。ただ兄様がいらしたら、
       私達がどんなに幸せかお話して、
       引き離さないで欲しいと、頼むつもりでいるだけです」

水無月   「しかし……さすがにそれであちらが引き下がるとは……」

月子    「それも、わかっております。
       ですから、本当は落ち着いてなどはおりません。
       貴方様にこうして抱きしめていただかなければ、ほら。
       震えが止まらないのです」

水無月   「考えのないことを言った、すまない……。
       俺もよほど参っているな……」

月子    「このような時に怖くない者などおりましょうか」

水無月   「そなた達の為に強くありたいと思うのに、
       母に甘える赤子のように、そなたに縋りつくなど、情けないな」

月子    「おなごは頼られることに喜びを感じるものですよ」

水無月   「?」

月子    「殿方に守られながら、子を産み育てるばかりがおなごではございません。
       時に殿方を守るのも、おなごの御役目なのではありませんか」

水無月   「愛想を尽かしはしないのか?」

月子    「頼られるとは、信を得ているということ。
       自らを信じてくれている殿方の為なれば、
       おなごは必死に家を、子を、そして殿方をも守ろうとするものです。
       それが妻というものなのでは?」

水無月   「なるほど……。
       そなたがそう言うと、そのような気もしてくる。
       おなごが斯様に熱き心を持ち、強く生きているとはな」

月子    「私が、貴方様の周囲にいらした姫君より、お転婆なだけかもしれませんが」

水無月   「はは、お転婆結構!
       おかげで俺は、最高の妻と巡り会えたのだからな」

月子    「水無月様」

水無月   「しかし……。
       お互い、腹の内を隠すのは、良い夫婦の姿とはいえないだろう」

月子    「え?」

水無月   「もうすぐ兄君が迎えにいらっしゃる。
       俺達にはもう時間がない。
       腹を割って、話をしても?」

月子    「何を、お話しすれば……?」

水無月   「兄君から、そなた達兄妹が人ではないと、伺った」

月子    「っ……!」

水無月   「というより、そなた達の会話を聞いてしまってな」

月子    「昨晩の、会話を?」

水無月   「兄君は俺の気配に気付いていたから、
       そのあと、表にいた俺のところにいらしたのだろうが……」

月子    「そう、でしたか」

水無月   「守るべきものも、帰るべき場所もあるそなたを、俺は……」

月子    「わ、私の守るものも帰る場所も、ここにしかありません!!
       ぅ……(張ったお腹をさする)」

水無月   「月子、身体に障る。落ち着いてくれ!」

月子    「はぁ、はぁ」(荒い息を整えようとする)

水無月   「……そなたと兄君にしかできぬ御役目の為に、
       どうしても、元居た世界には帰らなければいけないのだろう。
       それは、どう足掻いても変えられぬだろう?」

月子    「それでも。
       私が生きる意味を見出すことができたのは、貴方様に出会えたからでした。
       もう離れることなどできません。
       それとも、やはり人ではない私とは連れ添えぬとお考えですか!?」

水無月   「月子以外の伴侶など要らぬ!!!」

月子    「水無月様……」

水無月   「しかし。
       ……兄君からは、同族にならぬかと、……」

月子    「え!?」

水無月   「子供の命は諦め、同族になりさえすれば、
       月子と共に暮らすことは可能だ、と」

月子    「まさか、その申し出をお受けになったのですかっ?」

水無月   「いや……。
       しかし子供を諦めねば、そなたも死んでしまうのではないのか」

月子    「それ、は……」

水無月   「俺達は、決して天秤にかけてはならないものを、前にしているのだ。
       これが『業』というものなのかもしれぬ」

月子    「運命(さだめ)を捻じ曲げて結ばれたがゆえの『業』だとおっしゃるのですか!?」

水無月   「……責は、俺にある。
       そなたを口説き落としたのは、俺なのだから」

月子    「すみません……貴方様を責めるつもりでは……」

水無月   「俺とて、そなたを責めたいわけではない」

月子    「この子の命は……私が絶対に守ります」

水無月   「絶対にと言っても……
       たとえ子が無事に生まれても、そなたの命はその時にはもうない。
       そなた亡き後、ひとりで子を育てよと言うつもりか?」

月子    「では、それができぬから、鬼になろうとおっしゃるのですか!?」

水無月   「っ……!
       昨晩から考えてはいるが……答えは出ない。
       そなたもそうではないのか?」

月子    「……同族になるなどと、簡単に決めてはなりません。
       水無月様は、私達鬼というものを、知らなさすぎる」

水無月   「無知なのは、認めよう」

月子    「人の身を捨て鬼となるは、どういうことなのかおわかりですか」

水無月   「いや。具体的に何をするのかは聞いてはいないな」

月子    「鬼は、人の負の感情から生まれます。
       そして、道を外れた人もまた、鬼となるのです」

水無月   「道を外れた者?」

月子    「罪を犯し償いをしなかった者は、人の道を外れ、畜生道へと堕ちる、と。
       これは人の世界でも知られていることですが」

水無月   「それは俺も聞いたことはあるな」

月子    「人は、罪を犯して鬼となります。
       兄様の力を借りるとはいえ、貴方様が人の身を捨て、望んで鬼となるには、
       ……生まれた子を殺し、食すほどの覚悟が必要かと」

水無月   「なっ……」

月子    「兄様はもう決めているのです。
       この子を殺し、私と共に鬼の世界へ帰る、と」

水無月   「……」

月子    「そこに貴方様がいてもいなくても、兄様にとってはどちらでもよいのでしょう。
       だから、あとは私達が決めることなのです」

水無月   「子の命を諦める、その一択だというのか」

月子    「もし、この子の命を助けられるとすれば」

水無月   「とすれば?」

月子    「今ここで私が死ねばよいのです」

水無月   「!!」

月子    「死ねば私の命は子に継がれ、子は私の身体から自力で出てくることでしょう。
       仮にも異界を司る者の命を継いだ子、
       それくらいはやってのけるはず。
       水無月様、この子が生きる為に、私を殺してくださいますか?」

水無月   「そのようなこと、できるはずがない!!」

月子    「では、この子を食し、鬼となる道を選びますか?」

水無月   「っ……、それは……」

月子    「……たとえ私が死んだとて、子は兄が連れて行くでしょう。
       どちらにせよ、現実的ではないのです」

水無月   「……この場でふたり自害すれば、
       来世で親子として三人出会えるだろうかなどと、
       夢のようなことを考えもした。
       しかし、どうしてもそなたを手にかけられぬ……」

月子    「……貴方様はそういう御方ですから。
       だから、私もお慕い申し上げたのです。
       それに、たとえ自害を選ぼうともそれを兄様が許しはしないわ。
       水無月様、気付いていらっしゃる?
       今朝からまったく追っ手の気配がないことに」

水無月   「そういえば……」

月子    「兄様が追っ手から私達を守ってくれているんです。
       そして兄様は、私達をも見張っているでしょう」

水無月   「……そうか。どう足掻いても、無理か。
       愛した者も、守れぬ無力さが憎い……」

月子    「どうかご自分を責めないで。
       元は私が、人である貴方様を愛したがゆえの「業」。
       貴方様には何の罪もないのです。
       あとは私が、引き受けます」

水無月   「月子……何を考えている……?」

月子    「これは兄から渡された、
       鬼の世界を束ねる者に伝わる書物のようです。
       昨晩、貴方様の寝ているうちに目を通しました。
       もう、私が選ぶ道は、決まっています」

水無月   「決まっている……?」

月子    「貴方様が、信じてくれさえすれば」

水無月   「どういうことだそれは……」

月子    「それを話している余裕はもうないようです。
       ……兄様がいらしたわ」

水無月   「っ!」

(蒼右鬼、あらわれる)

蒼右鬼   「答えを聞こうか。緋左鬼」

月子    「水無月様の前でもその名で私を呼ぶなんて、酷なことをするのね、兄様」

蒼右鬼   「酷? どこが?
       もう僕達が鬼だと知っているんだ、
       名を偽ることに意味があるとは思えないけど?」

月子    「偽る……、そうね。
       私は緋左鬼。どんなにうまく人に化けても、私は鬼。
       『月子』として生きることなど、所詮は夢。よぉくわかったわ」

水無月   「月子!?」

月子    「(小声で)しっ!
       水無月様、少し黙っていて、お願い」

蒼右鬼   「くっくっく。一晩与えた甲斐があったかな?
       じゃあ、帰ろうか、緋左鬼。僕達の世界へ」

月子    「ええ、帰りましょう。
       だから兄様。少し私に力を貸してくださる?
       子を殺し、この身から剥がせば、私の力も戻るんでしょう?
       私がやるわ。これは私の業ですもの」

蒼右鬼   「なら、鬼の姿に戻してあげよう。
       それで事は足りるだろうからね」

月子    「一度は愛した人に姿を晒すのも、禊(みそぎ)のうち、ということ?」

蒼右鬼   「そうだね」

月子    「……さようなら、水無月様」

水無月   「月子!! 何故!!」

月子    「言ったはずです。
       私は鬼。貴方様と結ばれることは赦されぬ運命(さだめ)」

水無月   「俺達の子を殺すのか!?
       その腹で慈しみ育ててきた子を!!」

月子    「仕方がないわ。
       昨晩から幾度も話して、何も方法がないとわかりきってる」

水無月   「選んだ道がそれなのか!!」

蒼右鬼   「往生際が悪いぞ人間。緋左鬼は選んだんだ。
       さあよく見るがいい。
       一度は愛した者の、本当の姿、鬼の本性を!!」

月子    「ぁぁアアアアああああああああああああああ!!!」

(青い光が幾度も瞬き、月子は鬼の姿となる。
 その身からは赤い光が放たれている。)

水無月   「月、子……」

蒼右鬼   「これが鬼の姿だ。……鬼を見るのは初めてかな?
       僕達は鬼の世界を束ねる者。異界を司る双子鬼。
       人間ごときがこの姿を目にできたことを、幸運に思うがいい」

水無月   「くっ……」

蒼右鬼   「目を背けて、どうしたんだい?
       この禍々しくも力強き鬼の姿を、まさか醜いとでも思ったか?
       一度は愛した女の姿を、直視できない?
       そうだよねぇ!? 人間だものねぇ!!?
       昨日は鬼だろうが関係ないと言っていたが、
       所詮人と鬼とは相容れないんだよ!!!」

月子    「ええ、そうね。
       どれだけうまく人に化けても、本来の姿はこちら。
       あれが普通の反応でしょう」

蒼右鬼   「やっと元の緋左鬼に戻ってくれたね。
       子供はどうした?」

月子    「もう剥がしたわ。ありがとう兄様」

蒼右鬼   「……うん、腹から命の気配は消えているね」

月子    「子はもう私の身に消化された。
       味わう余裕はなかったけれど、命の心配がなくなってほっとしたわ」

水無月   「……そんな……」

蒼右鬼   「約束を守ってくれて嬉しいよ、緋左鬼」

水無月   「月子ぉぉぉ!!!」

月子    「水無月……なぁに?
       ああ、そういえば、同族になるんだったわね。
       まだ消化しきってないでしょうし、子の足のひとつでも出しましょうか?
       食べさせてあげるわよ」

水無月   「(吐き気を抑えながら)誰がするかッッ!!」

月子    「そう。じゃあここでお別れね」

水無月   「許さぬ、そのようなこと、許さぬぞ!!!」(刀を抜く)

月子    「……私に刀を向けるの?
       私のことをあんなにも愛して、大切にしてくれたのに。
       私も、あんなにも貴方様を愛したのに。
       それなのに、私を斬るのですか、水無月様?」

水無月   「くっ……」

月子    「まぁ、鬼の身体では、たとえ斬りかかってきても、刀が折れて終わりだけれどね」

蒼右鬼   「邪魔をするなら、この人間も殺しておこうか」

月子    「そうね。はああッッッ!!!」

水無月   「うわあああああッ……」

(吹き荒れる一陣の赤い風により、水無月岩壁にたたきつけられる。
 水無月、気絶する。)

蒼右鬼   「……終わったね」

月子    「心配かけてごめんなさい、兄様」

蒼右鬼   「別にかまわないさ。さあ帰ろうか、緋左鬼」

月子    「……ねえ兄様」

蒼右鬼   「なんだい?」

月子    「兄様は、鬼の世界をどう考えてる?」

蒼右鬼   「どう、って?」

月子    「私達が鬼の世界に生まれた意味って、あると思う?」

蒼右鬼   「どうしたんだい。
       感傷にでも浸っているのかな?」

月子    「……私達は、気付いたら鬼の世界にいたわよね。
       人のように父や母がいるわけでもない、
       いつの間にか生まれて、
       名前と鬼の世界を束ねるという御役目が与えられてた」

蒼右鬼   「鬼の誕生なんてそんなものだろう?
       名前と、御役目と、他の鬼とは段違いの力を与えられている。
       それだけでじゅうぶんじゃないか」

月子    「でも、鬼の世界を束ねる、ってどういうことなのか、
       兄様は考えたことがある?」

蒼右鬼   「え?」

月子    「私達、鬼の世界で何かしているわけではないわ。
       特別なことも、何もしていない。
       ただ、存在する、ということだけが束ねるということなの?」

蒼右鬼   「……何が言いたいんだい」

月子    「人がいなくなれば、鬼も生まれないんでしょう?
       でも、下等な鬼は人から召還されて、
       上位の鬼は、自ら人の世界に赴いて、悪戯に人の世界の秩序を乱している。
       今のままでは、私達鬼の行き着くところは破滅ではないのかしら。
       滅ぼすことしか赦されない私達は、結局自らをも滅ぼそうとしているんじゃない?」

蒼右鬼   「それは極論というものだ」

月子    「そうかしら……」

蒼右鬼   「……だから僕達がいるんだろう。
       鬼達が勝手なことをしないようにね」

月子    「私達は、鬼を支配する為に存在しているの?」

蒼右鬼   「抑止力として強い力を与えられてるだろう」

月子    「私達は鬼の世界を司る双子鬼。御役目は、鬼の世を統べることじゃない。
       束ねることよ」

蒼右鬼   「同じことだろう」

月子    「違うわ。違うのよ、兄様」

蒼右鬼   「緋左鬼?」

月子    「私は水無月様を愛し、子を宿してしまった。
       でも、それが間違いだとは思わない。
       だからこそ、私達の御役目の本当の意味に気付くことができたんだから!
       ……はあああああああああああああッ!!!」

(吹き荒れる赤い風。
 さきほど水無月をたたきつけた時とは段違いの威力の気を身体から放つ緋左鬼。)

蒼右鬼   「くッッ、何をするつもりだ!!」

月子    「鬼の世界を、封印するの」

蒼右鬼   「封印!?」

月子    「人のためじゃない。
       鬼の為に、きっとこれは、必要なことなのよ」

蒼右鬼   「そんなことをして何になるッ!?」

月子    「鬼は、人の世界で忌み嫌われ、恐れられている。
       そしてその強大な力に人は怯え、さらに鬼は増え続ける。
       増えた鬼が人を襲う悪循環。
       兄様が言ったのよ。鬼は滅ぼすことしかできないと。
       私達は、私達の世界をも、守ることはできないんだわ。
       ゆっくりだけど、鬼の世界が滅びの道を辿っているのはそういうことよ!」

蒼右鬼   「だからって、鬼の世界を封じるなどできるはずがない!」

月子    「できるわ!!
       ……できるはずよ、私と兄様になら。
       その為に私たちは、他の鬼にはない力を与えられてる」

蒼右鬼   「その為に?」

月子    「……私達はなぜ人の姿になることができるのかしら。
       あれだけ大きな鬼の姿と力を持っているのに、
       擬態ではなく、人の姿を持っている理由は?
       これこそが元の姿だからよ」

蒼右鬼   「有り得ない! そんなこと、あの書物にすらも書いてはいなかった!」

月子    「直接はね。
       けれど、ほんの少しの綻び、矛盾、それらを紐解いていけば、答えは出るわ」

蒼右鬼   「緋左鬼が読み取った真実が、それだと?」

月子    「ええ。私達鬼の世界を司る双子鬼が、他ならぬ人の姿で生まれるのも、
       鬼では、世界を守れないからよ。
       ……でも私達は、守ることができるの」

蒼右鬼   「……具体的に、何ができると言うんだい」

月子    「私は人の世界に留まり、こちらから、
       兄様は鬼の世界に戻り、あちらから、
       二人同時に結界を張れば、……封印ができるわ」

蒼右鬼   「人間を喰っていた鬼は間違いなく暴れるぞ」

月子    「人を食さなければ死ぬわけじゃない。
       鬼が消滅する瞬間は、突然訪れるものだと、あの書物にもあったわ。
       それに、所詮は鬼。
       時が経てば、人を食していたことすら忘れるでしょう」

蒼右鬼   「結界を破ろうとするかもしれないじゃないか」

月子    「私達が作る結界を、普通の鬼が破れるはずないでしょう」

蒼右鬼   「……何故そうまでしようとする?」

月子    「鬼は業を背負った人の成れの果て。
       ならば、鬼となったその後に、これ以上業を背負うことはない。
       いつか罪が赦され、鬼としての姿が消滅した後、
       命あるものに生まれ変わることができたら、
       それは素敵なことだと思わない?
       私達が、鬼達の希望を作れるのよ、兄様」

蒼右鬼   「……鬼の世界に興味のなかったお前をこうまで変えたのは、
       あの人間の力なんだね。
       僕が命を奪う前に、わざと気絶させただろう」

月子    「……お願い、兄様、力を貸して!
       これは私一人では無理なのよ。
       私達が双子である意味は、束ねるという意味は……」

蒼右鬼   「わかってる。
       わかってるよ、緋左鬼」

月子    「兄様?」

蒼右鬼   「はあああああああああああああッ!!!」

月子    「っ……」

(蒼右鬼、一瞬鬼の姿に変わり、青い風が吹き上がる。
 緋左鬼の赤い風と混じり、紫の禍々しい空間ができあがる。
 人の姿に戻った蒼右鬼と月子、背中合わせに立っている)

蒼右鬼   「ねえ緋左鬼」

月子    「なぁに兄様」

蒼右鬼   「……僕があの書物を読んで、本当にそれに気付かなかったと思う?」

月子    「え……じゃあ、兄様も気付いて……?」

蒼右鬼   「蒼い右の鬼、緋い左の鬼、と揃いの名をもつ双子鬼。
       鬼の世界の成り立ち、僕達、鬼の世界を束ねる者の本当の御役目とは何か、
       あれでわからないほうがおかしいさ」

月子    「兄様……」

蒼右鬼   「しかし、それはとても危険なことだ。
       僕達が結界の一部とならなければいけないんだからね。
       覚悟はできてるの?」

月子    「……、ええ」

蒼右鬼   「お前が生まれた世界と、お前が愛した者のいる世界を守る為に、
       命を捨てられるんだね?
       本当にそれでいいんだね?」

月子    「勿論よ。
       それよりも兄様は?
       本当にいいの?」

蒼右鬼   「僕は、緋左鬼がよければそれでいいんだよ」

月子    「えっ?」

蒼右鬼   「ははっ、なんて顔してるんだい?
       僕は緋左鬼の兄様だろう。
       僕達は鬼だけど、緋左鬼があの人間を愛したように、僕だって、
       お前を愛しているんだからね」

月子    「……っ」

蒼右鬼   「たった一人の僕の家族、……大切な妹」

月子    「兄様……」

蒼右鬼   「……さて、結界を張る前に、もう一つの問題を何とかしないとね」

月子    「えっ」

蒼右鬼   「お前の嘘にも、ちゃんと気付いていたよ。
       ……お前は、子を守っていた。
       守ることができると、その身で証明したね」

月子    「……本当だったら、御役目の為に、この子も諦めなければいけないのに。
       本当なら、その覚悟も、必要なのに」

蒼右鬼   「それは仕方がないさ。
       あの人間のうけうりなのが癪だが、それが母親というものなんだろう?
       しかし、お前の力は、命と共にその子に受け継がれる。
       肉体ごとその命が結界の一部となる前に、子供を産み落としたとしても、
       封印の効力は不完全になってしまうだろうね」

月子    「……ごめんなさい……、っ……」

蒼右鬼   「謝ることはない。
       要は、お前の力を補うことができればいいんだよ」

月子    「え……」

蒼右鬼   「お前の血と力を受け継ぐ子が、子々孫々に至るまで、
       結界に、その力を注ぎ、補填すればいい。
       僕の力で最大限援護して、人の世の時間でいって20年くらいかなあ。
       でも、人の子が成長するにはじゅうぶんじゃないか」

月子    「20年ごとに……。
       この子や、この子の子供も、孫も……ずっと……」

蒼右鬼   「生きる喜びを教えるかわりに、重い荷物を背負わせることになる。
       お前のすべての子孫の運命を決めてしまうことにはなるが、
       方法は、それしかないと思うよ」

月子    「……私はひどい母親ね」

蒼右鬼   「そんなことはない。
       愛した人間も、子供も、そして、鬼の世界をも守ろうとしている、
       強くて優しいお前を、僕はお前を誇りに思うよ」

月子    「っ……」(泣く)

蒼右鬼   「そんな顔をしないで。
       笑って、緋左鬼。
       僕だって、お前の笑顔が大好きなんだから」

月子    「兄様……」 

蒼右鬼   「……じゃあ、始めようか」

(ぐわわんと、空間のゆがむ音。
 鬼の世界への道が現れその向こうに進む蒼右鬼。)

蒼右鬼   「緋左鬼の愛した人間と子供達がこれから生きていく世界と」

月子    「私達の生まれた世界の為に」

蒼右鬼   「覚悟はいいね、緋左鬼」

月子    「ええ、兄様」

  (両の手をあわせる二人)

蒼右鬼   「はあああああああああああああああああッッッ!!!!!!!!」

月子    「はあああああああああああああああああッッッ!!!!!!!!」(同時に)

(紫の嵐。時たま稲妻のような光も現れる。
 そのなか、水無月が目を覚ます。)

水無月   「……うっ、……これは?
       なんだこの紫の嵐は……!」

月子    「水無月様」

水無月   「月子!?」

月子    「先ほどは、手荒な真似をして申し訳ありませんでした」

水無月   「……いや、……」

月子    「そんなに警戒なさらないで。
       貴方様にも、この子にも、危害を加えたりしませんから」

水無月   「子供……?
       守っていてくれたのか……!」

月子    「当たり前です。
       殺したりなどできるはずないではありませんか」

水無月   「すまない。そなたは、信じてくれと言っていたのに」

月子    「ただ、貴方様とこの子と共に生きていけないのが、残念でなりません」

水無月   「……月子……」

月子    「水無月様。
       私は、これから鬼の世界を封じる結界を張ります」

水無月   「な、……結界!?
       いきなり何を……」

月子    「鬼の世界を束ねる者としての、御役目を果たすのです」

水無月   「御役目……」

月子    「この結界さえあれば、もう鬼が人を脅かす心配はありません。
       貴方様と私達の子は、平和に生きていけるでしょう」

水無月   「……しかし、そなたはいないのだろう。
       俺達だけが、残されてしまうのだろう。
       俺はそなたを失いたくない……!」

月子    「また、会えます。
       ……いいえ、会わねばならない時が参ります」

水無月   「どういうことだ?」

月子    「私の身体は、まもなく結界の一部となるでしょう。
       けれど、この子を産むことで、私の力は子に受け継がれ、
       結界を維持できなくなってしまうのです。
       ですから、この子には、命と引き換えに酷な運命を背負わせることになるでしょう」

水無月   「酷な運命?」

月子    「20年後、この子と共に此処に来て下さい。
       この子に受け継がれた鬼の力を、結界に注がねばならないのです。
       人として平和な世に育つこの子が、
       自らの内に眠る鬼の力を目の当たりにすることになるでしょうが、
       でも、貴方様の子ですから。
       きっと、強い子に、育ってくれますよね」

水無月   「待て、わからぬ、20年後に何が起きるのだ!」

月子    「……親子三人共に暮らせれば、どんなによかったことでしょう。
       貴方様に御役目を捨てさせた私が、
       妻としても母としても何もできずに、
       自らの御役目の為に、勝手をするなど……。
       けれどその御役目で、貴方様とこの子は平和に生きてゆけます……。
       だからどうか、お赦しください」

水無月   「赦すも何も、月子……」

月子    「ああ、もう時間がありません……。
       私と兄の命を賭した決心とこの結界を、
       きっと、きっと守ってくださいね」

水無月   「月子!!」

月子    「水無月様。
       この子を、私達の子を、お願いします……!」

(一瞬の赤い光の後、おぎゃあという産声。
 産着を着た赤子が、水無月の腕に抱かれる。)

水無月   「なんと……かわいらしい子だ……。
       そなたに似て、きっと美しい娘に育つだろう」

月子    「まぁ、この子は男の子ですよ」

水無月   「そ、そうだったのか……。
       いや、姫のような顔立ちをしていたからてっきり、」

月子    「ふふ、父親がそのように早とちりでは困りますね。     
       それとも、その子に姫とでも名づけますか?」

水無月   「むっ、このような時に冗談をっ!」

月子    「……そろそろ、言葉を発することも、
       難しく、なってまいりました……」

水無月   「月子!!
       この子の名前をつけていってくれ。
       そなたはこの子の母なのだから……!」

月子    「鬼である私が、名づけてもよろしいのですか……」

水無月   「そなたは俺の妻だ。
       そしてこの子は、そなたと俺の子だ!」

月子    「ありがとう、ございます……。
       ……では、水無月様の御名前と同じく、
       生まれ月から、葉月、と」

水無月   「葉月……か、ありがとう月子」

月子    「20年後、です、水無月様……どうか、お願いします……」

水無月   「承知した。
       葉月が20歳を迎えた日に、また此処へ参ればよいのだな。
       約束だ!
       絶対にまた、会おうぞ……!!」

月子    「はい。
       約束です、水無月様……」

水無月   「愛している、愛しているぞ」

月子    「私もずっと愛しております……!
       私は此処からずっと、御二人を愛してゆきますから……」

水無月   「月子おおおおおおおおおッッッ!!!」

(紫の嵐はやみ、洞窟に静けさが戻る。
 赤子の泣き声だけが響いている。
 朝の光。
 赤子をつれ、水無月退場。)



蒼右鬼    古より、人は鬼の存在に悩まされ続けてきた。
       鬼を使役する国の存在もあったようだが、それも定かではない。 
       人はその強大な力に怯え、鬼を封じる術(すべ)を探し求めていた。
       しかしいつからか、鬼は姿を見せなくなった。
       そのかわり、山奥にひっそりと筑尾(つくお)と呼ばれる里ができ、
       『ヒメ』と呼ばれる者を当主とした一族の存在が
       都にて、まことしやかに囁かれるようになった。
       当主である『ヒメ』は、20年ごとに鬼を封じる儀式を行っているという。
       しかし、あまりにも人里離れた山奥の小さな村のこと。
       事実を確かめたものは誰ひとりとしていないという。
       文献すらも、現代に、ひとつとして、残ってはいない……。







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