ノスタルジア

作:早川ふう / 所要時間 5分

利用規約はこちら。 少しでも楽しんでいただければ幸いです。2019.03.25.


買い物から戻り、魚の下ごしらえを済ませ、
お米を研ぎ、水に浸け終わると、勝手口から西日が差し込んできた。
それを合図に、エプロンのまま縁側へと出ると、
夕方のグラデーションが私を出迎えた。



この時間、縁側に腰掛け、
柱に寄り掛かるようにしながら空を眺めるのは、私の日課だ。
お茶をするでもなく、洗濯物を畳むでもない。
私は何もせず、ただ空を眺めている。
澄み切った青空が桃色と混ざり、夕日の赤へと続いていく。
日が落ちていくと共に、その色たちは、どんどん変化していく。
私は、夕焼けの外側にある紫色が、とても好きだ。
近くの公園にある藤の花の紫よりも、空の紫の方が好きだ。
透明で、澄んだ薄紫色は、この一瞬しか眺めることができない。
もう少し日が落ちれば、藍に染まり、なくなってしまう、儚い色。



祖父は写真家だった。
日々の何気ないことから、学校行事まで、
私のアルバムには祖父が撮ってくれた写真がたくさん残っている。
この縁側で、祖父はよく、古いカメラの手入れをしていたものだ。
私は子供の頃からそれをよく覗き込んでいた。
部品を磨いたり、油をさしたり、
ごつごつした手で細かな作業を行う様が、まるで魔法のように見えていた。
フィルムを回す時に鳴る、なんとも言えないあのジーっという音。
どうにもおかしくて、私はよく笑っていた。
祖父は不思議そうにしていたが、あの音がくすぐったくないのだろうか。
不思議に思っていたのはこっちだ。
今でもはっきりと耳に残っている、
あの思い出を語る音を、もう聞くことはできない。
カメラの扱い方を習っておくんだったな。
和室の角に鎮座するそれに目をやると、時計の鐘がボーンと鳴った。



もう少しここにいると、藍に染まる空の中に、
帰宅して居間に明かりが灯るかのように、
星と月の光がやわらかく光り始める。
その様子も眺めていたいけれど、ご飯の支度ができなくなってしまう。
だから、紫が消えたら台所に戻る、それが自分との約束だった。
空に目をやると、ほんの少し残っていた紫の層が溶ける。
私はため息をひとつ吐き立ち上がった。
台所へ戻る前に、もう一度和室に目をやって呟く。

「今日買ってきたカレイはぶ厚くて身が締まってたから、きっと美味しいよ。
 煮つけにするから、一緒に食べようね、おじいちゃん」






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