もしもの話

作:早川ふう / 所要時間 5分

利用規約はこちら。 少しでも楽しんでいただければ幸いです。2018.10.27.


もしもの話をしよう。
人間が植物のように、水だけで育つ生き物だとしたら、
今この世界に、まともな人間はいないだろう。
あらゆる水は汚染され、天然水として販売されているものにすら添加物が入っている。
植物に色水を吸わせると、その色の花が咲くように、
人も、この汚染された環境で育つがゆえに、まともではなくなってしまう。
そうするとどうなるか。
まともではない状態が大多数になるのであれば、それが新たな常識となり、
今現在まともとされている常識が、非常識となる。
いつの時代も少数派は迫害されてしまうものだ。


父が、得意げに演説を始めるのは、
一緒にお風呂に入っている時の恒例行事だ。
父の職業は、いわゆる物書きで、
雑誌への連載や、コラム、たまにテレビでコメンテーターもしている。
身内びいきではあるが、そこそこ顔もよく、
サービス精神もあるおかげで、「売れっ子」なのだと思う。

一緒に過ごした記憶はあまりない。
家にいる時は、ほぼ書斎の机の前から動かないからだ。
ごはんの時間も家族とはズレていて、一緒に食卓を囲んだ記憶もない。
ただ、ごくごくたまに、父が休憩に書斎から出たタイミングとあう、
例えるなら四葉のクローバーに出会う程度の確率で、一緒にお風呂に入っていた。
それが、父親との貴重な交流の時間だった。

父は色々な話をしてくれた。
興味がない話でも、父にかかると、面白おかしく聞こえるから不思議だ。
体育の先生のキライなところを愚痴ったら、
いつの間にか、話が漫才のネタのようになっていて、
それ以来、体育が楽しみになってしまった。
苦手だった理科も図工も好きになってしまったし、
人生において、楽しむ余裕こそが最も大事なのだと
小さいころから教わっていたのだなと、今になって思う。

ただ、母からすれば、父の評価は低かったのだろう。
いくらそれなりのお金を稼いできていたとしても、
有名税は高かっただろうし、母は神経の磨り減る日々だったと思う。
何をしても人目につくのだから、
母はいつも身ぎれいにして、日々の食事や弁当にも冷凍食品ひとつ使わず、
自分を含めた兄弟3人を育てながら、
父の評価を落とさないことに気を配っていた。

あたりまえのように食卓には父親がいて、
弁当にはキャラクターものの冷凍食品のポテトが必ず入っている。
たまにしょっぱすぎる味噌汁が出てきたリ、
ごはんを炊くの忘れた、なんてうっかりでもいい。
完璧じゃなくていい、ごくごく普通の家に、憧れがあった。
そう育っていない自分には、未知の世界すぎたけれど、
もしも自分が普通の会社に就職して、
普通の結婚をしたとしたら、きっと待っている未来なのだと思うと、
楽しみで仕方がなかった。

とはいえ自分には、あの父親の血がしっかりと流れていて、
もしもの話をしよう、なんて口癖もしっかりと遺伝していた。
口うるさい、と嫌われることもあり、
他人にはあまり好かれないタイプに育ってしまったがゆえに、
結婚は遠そうだなあと思ったりしている。
家事の腕前は年々あがり、シングルライフも充実している。
たまに終電で帰る羽目にもなるが、
普段は18時すぎには仕事も終わるので、
ぎりぎり図書館の閉館時間にも間に合うし、
書店で新作を購入して、そのままカフェで読書、なんて時間もとれる。
うん、なかなかにいい人生ではないか。
まぁ、実際これも、もしもの話なのだけれど。

……ただひとつの誤算があるとすれば、
なかなかに早い段階で、太陽の灯が消えてしまったことだ。
今はまだもしもの話として語ることしかできない未来を、
本当なら、父と語り合いたかったけれど、もうそれも無理な話。
しかし、太陽の光は、まだこの世界に届いていて、
やわらかく広がっている。
それは、太陽がとても遠く、大きな存在であった証なのだ。

親の七光りも、自分がいい歳の大人になる頃には、もう輝いていないだろう。
もし輝いていたとしても、太陽の光を反射して輝く月のように、
自分が自分としてあるだけで、太陽にはなれずとも、
それなりにこの世界で認められることは可能なはずだから。
誰からも太陽を奪うことはできない。
忘れさせることもできない。
自分自身、太陽がいなければこの世に誕生することすらできなかったのだから、
否定するわけもない。
太陽は太陽、月は月、ただそれだけだろう。

かの夏目漱石が「I love you」を翻訳する時に、何としたか。
それは、なかなかに有名な話だと思う。
しかしそれは、典拠(てんきょ)不明な話だというのも知っているだろうか。
そして、1977年発行の書物には、
実際は、「月がとっても青いなあ」と訳した、とあるらしい。
人目を忍んで逢瀬を楽しんでいただろう相手に、
そう言うことですべてが伝わる、と。
成程、当時の情勢を踏まえれば、妥当な線だとは思う。
だがしかし、個人的な意見を言わせてもらえれば、
前者の方が自分自身にあてはまるという意味でも、好ましいんだ。
太陽はいつまでも輝いているし、
自分はいつまでもその光を受けているんだからね。
だから考えるんだ。
もしもの話、自分に恋人ができたとして、
その人と結婚したいと思う時はどんな時かって。
つまり、そう言われた時だろうという、絶対的な結論、それは。

「月が、綺麗ですね」






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