緑の憂鬱

作:早川ふう / 所要時間 5分

利用規約はこちら。 少しでも楽しんでいただければ幸いです。2018.10.27.


風が吹いて。
さーーっと木々が囁き始める。
ざわざわと声が大きくなって。
まるで肩を震わせて笑っているかのように、枝が揺れる。

都会のいつもしっかりと手入れされている木々では
そんな風景を見つけることはなかなかできないけれど、
行きつけのオープンカフェの通り沿いに植えてある並木や、
職場の窓から見える公園の小さな木、
なんならアパートの入り口の雑草でもいい。
緑を見つけるたびに、思い出すんだ。

通っていた学校の敷地内には、木がたくさんあった。
校門前に桜が植えてあるのはもちろん、
杉や楓、銀杏もあった。
花もたくさん植えてあって、季節ごとの景色が美しかった。
当時は、世話係が嫌で嫌でたまらなくて。
どうしてこんなことしなきゃいけないんだって思いながら、
大きなじょうろを抱えて、クラスの花壇にお水をあげていたけれど、
今はその重さすら、懐かしい。

足音。
車の走行音やクラクション。
音楽や話し声。

街を歩けば、そこかしこに誰かがいて、色々な音がして、
それは煩いくらいなのに、なぜか、急に、寂しくなる。
そして、何も音がないような感覚になる。
無色透明な世界に迷い込んだかのような。
いや、むしろ自分自身だけが急にモノクロになって、
この色とりどりの世界にいてはいけないのではないか、という錯覚。

故郷を、過去を懐かしみ、
かつては絶対的に自分の世界であった、あの場所に帰りたいと思うほど、
今の現実を生きることに違和感を感じる、あの感覚はなんなのだろう。
勉強して。働いて。
日々を生きていることに、疑問が生まれてしまうのはどうしてでだろう。

大きくなったら何になりたいか。
小学校に上がる前から、事あるごとに訊かれ、答えていたけれど、
いつからだろう。その問いに、何も返せなくなったのは。
あの緑の日々に思い描いていた夢は、
一体どこに消えてしまったのだろうか。

現実を知り、身の程を知り、
夢見たってしょうがないんだ、と諦めたのはいつだっただろう。
その知り得た現実と身の程は、
決して正しい評価ではなかったかもしれないのに。
努力でいくらでも変えられたかもしれない。
変えられなくとも、別の道に出会えたかもしれない。
他にやりたいことが見つかったかもしれない。
ひとつに挫折しても、それで人生が終わるわけではないのに。

しかし現実の自分は、可能性を全て捨て、楽であろう道に逃げた。
努力すれば広がる道を見なかったことにした。
自分には、これが似合っているんだと納得した。
本当は、ひとつも納得なんかしていないのに。

自分は後悔しているのだろうか。
過去には戻れない。
何かを始める時に遅いなんてことはないとよく言うけれど、
やり直すにも限界はある。
今自分は何をやりたいのだろう。
何を変えられるだろう。

やるべき仕事がある。
守るべき者がいる。
あの頃より、もっと大きな責任を担う今、
あの頃より、もっと大きな力が欲しいのに。
どうして、今の自分は無力なのだろうか。
風を感じると、心がざわつく。
あの頃悩み、答を出して、進めた力を、
どうか、どうか少しでいいから、今の自分に、届けてくれないかと。
緑を眺めては、溜息を吐く。
弱い、弱い、初夏の午後だった。






Index