逢魔時の黒猫 〜魔女の願い〜

作:早川ふう / 所要時間 40分 / 比率 1:2

利用規約はこちら。 少しでも楽しんでいただければ幸いです。2017.07.18.


【登場人物紹介】

藤本咲久良(ふじもと さくら)
  19歳。大学生。
  ハンドクラフトのサークル『不器用だけど作り隊』隊長(代表)。
  千恵里が昔作ったアクセを買ったことがきっかけで、ハンクラに目覚める。
  明るくて、積極的な印象。
  サークルのオフ会で出会った千恵里を好きになるが、
  既婚者だということもあり、遊びでいいと自分を誤魔化しながら付き合っていた。

長田千恵里(ながた ちえり)
  30歳。ハンクラ歴は19年。パッチワークから編み物、レジンアクセまで幅広い。
  成人してからは、個人サイトで自作品を売っていたが、結婚後しばらくしてサイトを閉鎖する。
  自己肯定感が低く、おとなしい印象。
  旦那のDVから逃げて離婚したが、先日、居場所を見つけられ、刺されて入院している。
  咲久良とは、離婚したことを伏せて付き合っていた。

黒猫(くろねこ)
  黒猫。最初の台詞は動物の姿での台詞。
  特定の状況下で、人間の姿となり、人と会話することができる。
  飄々としていてつかみ所がない。


【配役表】

咲久良・・・
千恵里・・・
黒猫・・・



千恵里   「どうしてここにいるの?
       ……もう、あなたとは何の関係もないの。
       接近禁止命令だって出てるのよ。
       お願い、今なら偶然だと思ってあげるから!」

黒猫    「ニャー」

千恵里   「ネコちゃん、だめ!
       イイ子だから、あっちに行ってて」

黒猫    「ニャー」

千恵里    言っても聞かない人だとわかってる。
       そして自分がこれからどうなるのかも。
       所詮、逃げられるわけがなかったんだ……。



黒猫     逢魔時(おうまがどき)、それは、一日が終わろうとする夕暮れ時。
       昼であって昼でなく、夜であって夜でなく、
       二つの時が交わり歪みが生まれる時間……。
       私が私となれるのも、この僅かな時間しかありません。
       あとはもうひとつ、条件が揃えば、人の前に現れることができるのですがねぇ。



咲久良    私は知らなかった。
       恋人、と言える関係じゃなかったけど、
       でも、私がずっと好きだった人、
       千恵里が、……たったひとりで、戦っていたなんて。



千恵里   『お風呂沸いたよ』

咲久良   『ありがと。お風呂一緒に入る?』

千恵里   『あ、……』

咲久良   『……今日、乗り気じゃない?』

千恵里   『あ、ごめん。そんなことないよ』

咲久良   『それとも体調悪い?』

千恵里   『大丈夫。何でもないから』



咲久良    思えば、千恵里はいつも何か言いたげなカオしてた。
       私は気付いてたのに、どうして、何もしなかったんだろう。
       とりかえしがつかなくなってから後悔したって遅いのに。
       どうして、私はこんなに馬鹿なんだろう。
       ……千恵里の意識は、まだ戻らない。
       毎日病院に足を運ぶけど、ずっと病室の前にいるわけにもいかない。
       病院の中庭のはじっこのベンチが、私の指定席になっていた。



(ベンチに座っている咲久良の隣にいつのまにか黒い服の人間が腰掛けている)

黒猫    「こんにちは」

咲久良   「え、……ああ、こんにちはー」

黒猫    「どなたかのお見舞いにいらしたんですか?」

咲久良   「まぁ、そーですね」

黒猫    「早くよくなるといいですね」

咲久良   「えぇ……。そちらもお見舞いですか?」

黒猫    「いいえ。私は、あなたに、会いにきました」

咲久良   「え……?」

黒猫    「私は黒猫と申します。
       病院っていう場所は、私が人の姿に戻りやすいので、
       退屈しなくていいんですよねぇ」

咲久良   「……なにそれ。
       精神科に行った方がいいんじゃないの?」

黒猫    「おや、妄想癖だと思われますか?
       心外ですねぇ。
       あっ、あなたが受診されるのなら、喜んでお供しますよ」

咲久良   「はぁ?」

黒猫    「“同性を好きになるなんて、頭オカシイんじゃなぁ〜〜い?”」

咲久良   「っ!?」

黒猫    「“こっちこないでよーレズがうつる!”
       “あの子と一緒にいるとアブナイよ、襲われるって”
       “あたしたちのこともやらしい目で見てるんでしょ、キモイ!!!”」

咲久良   「やめて!!!!!」

黒猫    「お静かに。
       私の声はあなたにしか聞こえませんから、本当に入院させられちゃいますよ〜?」

咲久良   「なによ、なんなのよ。
       どうしていきなりそんな……」

黒猫    「言ったでしょう。私は黒猫なんです」

咲久良   「だからそれがなんだってのよ!!」

黒猫    「んーー、なんだと言われましても……。
       あっそうだ。
       ほら、……気付きませんか?
       私にはあなたと違って、あるはずのものがないでしょう?」

咲久良   「か、影が、ない……なんなの、あんた……」

黒猫    「なんなのと言われましても、私は黒猫です、としか答えようがありません。
       まぁ詳しくご説明しますと、この時間、私という存在を必要としていて、
       且つ、あるモノを持っている人にしか、
       私の姿は見えませんし、会話することだってできないんですよ」

咲久良   「何言ってるかさっぱりわかんない」

黒猫    「どうして皆さんそう仰るのかなあ。
       私はこんなに丁寧に説明してるというのに。
       ……おや、あなた、髪に虫が」

咲久良   「えっやだっどこっ」

黒猫    「……大丈夫、とれましたよ。
       せっかくの綺麗な髪が乱れてしまいましたねぇ」

咲久良   「ここ緑が多いのはいいけど、虫が来るのはちょっとイヤなんだよね。
       ……あー髪ぐちゃぐちゃになっちゃった……直せるかな……」

(鏡を取り出し、髪を直す咲久良の耳にはピアスが揺れている。にやりと笑う黒猫。)

黒猫    「……その鏡、素敵ですね」

咲久良   「アリガト。ハンドメイドなんだ」

黒猫    「そうですか。……ではそのピアスも?」

咲久良   「ああ……これは、……私が作ったやつじゃないけど……」

黒猫    「センスのいいデザインですね。よくお似合いですよ」

咲久良   「ウン、ありがとう」

黒猫    「それにしても、素敵な力の宿る鏡に出会えて、よかったです」

咲久良   「は?」

黒猫    「私が人の姿に戻るためには、“鏡の力”が必要なんですよ。
       あっ、これ嘘なんかじゃありませんよ?
       私は真実しか言いませんからね〜」

咲久良   「なにそれ胡散臭ッ……」

黒猫    「そう軽口を叩きながら、ボロボロになった心を隠しているわけですか」

咲久良   「えっ」

黒猫    「……どうして、死にたいと思ったんです?」

咲久良   「なっ……。何でそんなことまで知ってるの……。
       もしかしてストーカー!?」

黒猫    「いえいえいえいえ。
       あー……知ってる、というのとは厳密には違うんです。
       ……逢魔時、死にたいと思う人間、そして、力の宿る鏡。
       その三つの条件が揃って初めて、私は人の前に現れることができるんですよ。
       その人間の願いを、叶えるために」

咲久良   「馬鹿にしないで!」

黒猫    「おっと」

咲久良   「ストーカーじゃないなら新手の宗教勧誘!?
       影がないとか、どうせ手品でしょ!
       そうまでして信者集めてるの!?
       ほんっと迷惑!!」

黒猫    「違いますよ。
       ……それとも、そう思いたいんですか?
       自分の境遇は周囲に憐れまれて、つけこまれるようなものであると?」

咲久良   「……そういう、わけじゃ、ないけど……」

黒猫    「私は確かにあなたの事情を知っています。
       けれど、それも黒猫だからであって、それ以上でもそれ以下でもないんですよ。
       私は、あなたの願いを叶える、ただそれだけなんです」

咲久良   「願い……」

黒猫    「何でもいいんですよ。
       死を望んでいたのはわかっています、
       ですから、あなたが本当に死にたいと願うのなら、それもよし。
       叶えましょう」

咲久良   「それ、あなたが私を殺すってこと?」

黒猫    「別に私が殺人鬼というわけではないんですよ!?
       あなたの望む死に方で、叶えますよ?」

咲久良   「……じゃあ、それ以外の願いだったら……?」

黒猫    「あなたには、願いがたくさんあるのでしょうか?」

咲久良   「こうだったらいいのにってこと、たくさんあるかな。
       ……欲張りだよね」

黒猫    「ではとりあえず、“死にたいと思った理由”を、
       見せていただけますかね?」

咲久良   「えっ!?」

黒猫    「願いは、そのあとで結構です」

咲久良   「わっ、何この光っ……」

黒猫    「よ〜〜く考えて下さいね。
       叶う願いは、たったひとつですから……」

(間)

咲久良   『今日、急にオフ会しようって声かけたのに、結構みんな集まってくれて嬉しいな〜』

千恵里   『あれ、みんなイベントで集まったりしてますよね?』

咲久良   『イベントはともかく、
       急に遊ぼうって声かけても集まれるのが嬉しいから!』

千恵里   『そういう雰囲気なんじゃないかなって思います。
       ほら、アットホームっていうか』

咲久良   「千恵里……!
       あれは……、初めて、会った時の……」

黒猫    「あなたの死にたい理由は、結構最近の出来事なのでしょうかね」

咲久良   「一年ちょっと前、かな……」

黒猫    「あれは、あなたの、大事な人ですか?」

咲久良   「うん。……恋人、って言えれば、いいんだけどね」

黒猫    「このご時世、同性同士のカップルも珍しくないでしょう。
       LGBT専門のウェディングプロデュースの会社などもあるくらいですし」

咲久良   「よく知ってるね……。
       でも、こっちの事情を言うとさ……所謂、セフレだったんだよ、私と千恵里は」

黒猫    「割り切った関係、というやつですか?」

咲久良   「そう」

黒猫    「何故ですか?
       あなたの顔には、彼女が好きだと油性ペンで書いてあるようですが」

咲久良   「そりゃ好きだよ。……一目惚れ、に、近いよ。
       でも、しょうがなかったの」

黒猫    「しょうがない……?」



咲久良   『そういえばさ。
       間男(まおとこ)とはいうけど、間女(まおんな)っていわないよねぇ』

千恵里   『え?』

咲久良   『だって、千恵里は結婚してるんだし。
       私って一応そういう位置じゃん?』

千恵里   『……ごめんね』

咲久良   『あ、違う、気にしてるわけじゃないよ。
       遊ぼうって言ったのは私なんだから』

千恵里   『でも……』

咲久良   『付き合うとか、そういうの苦手だし。
       気の合う子とたまに抱き合えたらそれでいいもん』



黒猫    「なるほど。相手にはご主人がいらっしゃった。
       だから、割り切った関係でいい、と強がってしまったわけですね?」

咲久良   「まぁ、そんなとこ」

黒猫    「若さゆえの勢い、いいんじゃないですか?」

咲久良   「本当に勢いがあったんなら、
       千恵里のこと、どうにかできたんだ」

黒猫    「……しかし、その、千恵里さん、ですか?
       彼女は、あなたに対して、自分のことを何も話していないように見えますが」

咲久良   「そうだね。何も話してくれなかった。
       ……割り切った関係だからって自分に言い聞かせて。
       でも、話してくれないことが悲しくて。
       私は私のことばっかり。
       千恵里の気持ちなんてわかろうともしてなかった……」

黒猫    「何故そう御自分を責めるのですか?
       第一、彼女は結婚しているのに、どうしてあなたとそういう関係に?
       案外、あなたは彼女にいいように遊ばれちゃったんじゃないですかねぇ?」

咲久良   「ふざけたこと言わないで!! 何も知らない癖に!!!」

黒猫    「ええ、私は何も知りませんよ。
       ですから教えていただかなくては」

咲久良   「私は千恵里を助けられなかったの……!!」

黒猫    「“助けられなかった”?」

咲久良   「千恵里は、とっくに離婚してたの。
       旦那だったやつがDV野郎で、逃げてきたみたい。
       ……私は何も、できなかった。
       千恵里が元旦那に刺されて、入院するまで、何も……」

黒猫    「……そうですか」

咲久良   「千恵里は……いつも何かに怯えてたの。
       私はそれを知ってた。
       でも、千恵里と一緒にいられなくなるのがイヤで、何も訊かなかった。
       結局私は、千恵里のことより自分が大事だったんだよ……」

黒猫    「……それで、自己嫌悪に駆られた、と?」

咲久良   「病院から電話が来て、いろんなこと初めて知ったの。
       千恵里は、本当に、誰にも知られないように生活してたんだ。
       私くらいしか連絡先もなかったんだって。
       でも、私は千恵里の実家がどこかも知らない……」

黒猫    「だからあなたは毎日病院に来ているんですか?」

咲久良   「千恵里はたった一人で病室にいるんだもん。
       ぐちゃぐちゃに殴られて、刺されて。
       生きてるのが奇跡だって聞いた。
       意識が戻るのかどうかもわからないんだって。
       でも、せめて、……そばにいたかった」

黒猫    「病室には行かないんですか?」

咲久良   「たとえ私達が恋人だったとしても、面会はできないの。
       家族じゃ、ないからね。
       私は、千恵里の為に、何もできない……」

黒猫    「それは、苦しいですね」

咲久良   「千恵里が助からないなら、私が生きてる意味なんてないのに」

黒猫    「それですね」

咲久良   「え?」

黒猫    「あなたの、死にたい理由です。
       “彼女が助からないなら、いっそ死んでしまいたい”」

咲久良   「……私だったらよかった。
       千恵里、きっと、すごく怖かったはずだもん。
       千恵里じゃなくて、私が刺されればよかった」

黒猫    「でも、もし逆の立場だったとしたら、
       千恵里さんは、自分のせいで怪我をした、と思うのではありませんか?」

咲久良   「……千恵里が、私のこと、それくらい大事に思ってくれてたら、いいな」

黒猫    「……ふぅむ。
       では、ここで少し、視点を変えましょうか」

咲久良   「何?」

黒猫    「あなたの死にたい理由はわかりましたが、
       それは、明確な希死願望ではありませんよね」

咲久良   「え?」

黒猫    「もし彼女が助かるのなら、死を望みはしないのでは?」

咲久良   「……うん。本当に意識が戻るんだったら……いいけど」

黒猫    「もし、意識が戻ったらどうしたいですか?」

咲久良   「今度こそ、後悔しないように、好きだって言いたいよ」

黒猫    「……それが、あなたが真に望むこと、でしょうか?」

咲久良   「……千恵里とまた元気に会いたい。もしそれが叶うなら、なんだってするよ……!!」

黒猫    「その意気やよし。
       死者を蘇らせることはできませんが、
       彼女の命はまだこの世に繋がれている。
       彼女が意識を回復し、元気に生活が送れるように道を示すことは、可能ですよ」

咲久良   「本当!?」

黒猫    「と、言いたいところなのですが。
       いえ、可能であるのは本当なんですけどね……何と言いますか……
       あなたの持つ鏡は、その願いを叶えるに足る力を持っていないようなのです」

咲久良   「えっ……じゃあ、どうすればいいの?」

黒猫    「こんなケースは初めてで、私も驚いているんですよ。
       しかし、望む願いを叶えるのが私の仕事、ここで挫けては黒猫の名が廃ります。
       何とかいたしましょう。……咲久良さん」 

咲久良   「何?」

黒猫    「記憶を、対価とする覚悟はおありですか?」

咲久良   「え?」

黒猫    「お二人で過ごした蜜月(みつげつ)を全て忘れてしまうとしても、
       あなたは彼女に、生きてほしいと願いますか?」

咲久良   「……それは、誰が忘れちゃうの? 千恵里が?」

黒猫    「いいえ。お二人とも、です」

咲久良   「……私が千恵里を好きだったことも忘れちゃう?
       そもそも出会わなかったことになっちゃうの?」

黒猫    「そうなります」

咲久良   「……でも、そうすれば、千恵里は元気になるんだよね?」

黒猫    「勿論です。黒猫に二言はありません」

咲久良   「……」

黒猫    「迷いますか? 考える時間が必要でしょうか?」

咲久良   「……私ね、……ホントに千恵里に助けられてきたの。
       中学の時、自分が、女の子、好きって自覚してさ。
       さっき、黒猫も言ったでしょ?」

黒猫    「ああ……。
       “同性を好きになるなんて、頭オカシイんじゃなぁ〜〜い?”、ですか?」

咲久良   「自分でもそう思ったし、すっごく悩んだ。
       相談した幼馴染はそう言ったし、友達もみんな離れてったし。
       だから他人とも距離を置いてた。
       でも、千恵里が作ったこのピアスに、勇気をもらったの。
       “素直なままで”っていう、商品名もそうだけど、
       このデザインもさ、すごくイイじゃん」

黒猫    「そうですね」

咲久良   「小さくても、きらきら光れる自分になりたいって思った。
       それに、ハンドメイドっていいなって、
       人の想いがそこにあるって、すごいことなんだなって思って。
       やりたいことだって、見つかった。
       ほんと偶然、このピアスを作った千恵里に出会えて、
       サークル活動だって助けてもらって、
       私のことも受け入れてくれて。
       ……全部、全部千恵里のおかげなの」

黒猫    「……助けてもらったから、恩返し?
       それは、義務感ですか?」

咲久良   「馬鹿、違うよ。
       恩返しっていう気持ちもちょっとはあるけどさ。
       千恵里が好きなの。幸せになってほしいの。
       ……私の隣でじゃなくてもいいから」

黒猫    「愛情、なんですね」

咲久良   「……うん」

黒猫    「たとえ、記憶がなくなっても、
       二人が結ばれる運命にあるのなら、
       きっとまた出会えますよ」

咲久良   「だといいな」

黒猫    「……では、これでお別れです。
       私とも、……千恵里さんともね。
       よろしいでしょうか?」

咲久良   「……もし、これが本当に夢じゃなくて、
       本当の本当に叶うなら、……いいよ」

黒猫    「確かに、承りました。……グッドラック」

(間)

黒猫    「さて、そろそろ起きた方がよろしいんじゃないですか……千恵里さん」

千恵里   「……」

黒猫    「これが、千恵里さんが考えないようにしていた、真実ですよ」

千恵里   「……咲久良。何で私なんかをそこまで……」

黒猫    「それは、今聞いたとおりじゃないですか?」

千恵里   「そんなに私を好きでいてくれたなんて……知らなかった……。
       っ……咲久良……っ」

黒猫    「……ハンカチをどうぞ」

千恵里   「ありがと」

黒猫    「あなたは、泣いてばかりですね」

千恵里   「……嬉しいのもあるし、驚いてるのもあるし……もうわかんない」

黒猫    「そうですか」

千恵里   「……咲久良の言葉は、嬉しかった、けど……
       でも、……どうして、咲久良はまだ覚えてるの?」

黒猫    「といいますと?」

千恵里   「だから、どうして咲久良はまだ私を忘れてないの?」

黒猫    「あー……。
       ……そういえばあなたの願いは、
       元ご主人に居場所が知られてしまったから、
       咲久良さんと共にいた日々をなかったことにしてほしい、でしたっけ!」

千恵里   「私の身に何かあっても、咲久良に迷惑がかからないようにって、
       私そう言ったじゃない。
       そうお願いしたじゃない?」

黒猫    「私を必要とする方が多くて、ついついあなたの願いが後回しになってました」

千恵里   「後回しって……」

黒猫    「ヒヒヒ……」

千恵里   「嘘をつくのが下手ね。
       咲久良に言ってたことだってそうよ。
       結構強引にまとめてたけど、
       あれは、咲久良だから騙せるのであって、普通の人には通じないわよ?」

黒猫    「ご忠告、肝に銘じておきます。
       トークスキルというものが欲しいですねえ」

千恵里   「……ほんと、変人なんだから」

黒猫    「あ、そういえば。元ご主人の裁判、始まりましたね。
       精神鑑定で揉めているようですが」

千恵里   「……そう……」

黒猫    「『どこ行ってたんだよ、何で家にいなかった!?』」

千恵里   「ひっ……!!」

黒猫    「『男と会ってたのか!?』」

千恵里   「ちがう、ちがう!」

黒猫    「『どうせどこかで股開いてきたんだろうこの淫売!!』」

千恵里   「いやあッッ!!!」

黒猫    「記憶を見せるまでもなく、この台詞だけでも、まだキツイみたいですね。
       泣かせてしまい、申し訳ありません」

千恵里   「……っ」(震えながら泣いている)

黒猫    「うーん……あなたの傷が癒えるのも、いつになるのでしょうね。
       咲久良さんの願いは、千恵里さんが元気で幸せであること、なんですけども」

千恵里   「……あの人がこの世に生きている限り、……私は幸せになんてなれない……」

黒猫    「DVを受けてきたあなたが、その考えに至ることができたのはすごいと思いますよ」

千恵里   「心から安心なんてできないもの……」

黒猫    「そうですよね……」

千恵里   「殴られるのは、全部私が悪いんだって思ってた。
       彼は私を愛してくれてるのに、私が悪いから彼は私を殴らなきゃいけないんだって」

黒猫    「DVと共依存は、切っても切れない関係ですからねぇ」

千恵里   「咲久良が私の作ったピアスを買ってくれなかったら、
       私はずっと、あのままだった。
       家を出ることができなかったら、
       あれが異常だったことにも気付けなかったもの。
       咲久良は私に助けられたって言うけど、助けられたのは、私が先なんだから。
       ほんと、あの子は私を過大評価しすぎなのよ……」

黒猫    「しかし、お二人はお互い、同じことを考えているのがわかりませんか?
       抱えているものこそ違えど、同じところで、同じものをみていると思いますが」

千恵里   「同じ、もの……」

黒猫    「同じものが必要だからこそ、惹かれ合ったのでは?
       それともあなたは、助けてもらったからという義務感だけで彼女と一緒にいたのですか?」

千恵里   「違う!!」

黒猫    「そう。違いますよね?」

千恵里   「私は……咲久良が好きだから一緒にいたの。
       屈託のない笑顔が好き。
       だからずっと笑っていてほしいの。幸せになってほしいの。
       相手は私じゃなくてもいいから、って……
       これ、言ってること咲久良と同じよね」

黒猫    「ええ。ですからきっとお二人は、同じ道を歩めるのではありませんか?」
 
千恵里   「……問題が全部解決したわけじゃないし、
       大体、私達は、出会わなかったことになるんじゃないの?」

黒猫    「たとえ、記憶がなくなっても、
       二人が結ばれる運命にあるのなら、
       きっとまた出会えますよ」

千恵里   「……それも、さっき聞いた台詞ね」

黒猫    「……鏡に姿が映るように、あなたも、私という鏡に、素直な願いを映してください。
       未来を望んでもいいんですよ。
       “素直なままで”。
       あのピアスにそう名付けたのは、他でもない千恵里さんじゃないですか」

千恵里   「あの人がいる限り幸せにはなれないとわかっていても、
       さすがに、死んでほしいとは願えない。
       ……一度は、共に、人生を生きようとした人なんだから。
       私はまだまだ弱くて臆病で……どうしようもない……」

黒猫    「私を呼んだ鏡には、千恵里さんと咲久良さん、お二人の想いの力が詰まっていました。
       ピアスは、右と左があって1セット、でしょう?
       願いを叶える鏡は、ふたつあるんですよ」

千恵里   「鏡って、あのピアスのこと、なの?」

黒猫    「そうです。
       千恵里さんが作り、願いをこめ、
       咲久良さんが身につけ、大事にしてきた。
       お二人の喜びも苦しみも全てを見てきたといっても過言ではありません。
       そこまでの力の宿る鏡、なかなかありませんよ。
       ……叶えましょう。あなた達の願いは、お互いが幸せであることなんですから」

千恵里   「え……? でも、」

黒猫    「全てはなかったことになりますが、心配はいりません」

千恵里   「待って。黒猫、私は」

黒猫    「あなたは、素直なままでこれからを過ごせばいいんですよ。
       大事なことを、見失わないように、生きてくださいね」

千恵里   「私は、幸せになってもいいの……?」

黒猫    「……勿論ですよ」

千恵里   「……ありがとう、ありがとう黒猫」

黒猫    「あとはお任せください。……グッドラック」



黒猫    「んーーー、ちょっとお節介が過ぎたでしょうか。
       でも、逢魔時に、こういう奇跡が起こってもいいと思うんですよ。
       皆、もうじゅうぶんに苦しんだんですからね」



(駅前広場)

咲久良   「あああ、遅れてごめんなさーいっ!」

千恵里   「いえいえ、大丈夫ですよ。
       なんか、改めて言うのも恥ずかしいけど、はじめまして」

咲久良   「はじめましてー! やっと会えましたねーー!
       もうっなかなかオフに参加してくれないんだもーん」

千恵里   「ああ……旦那がそういうの厳しかったんで。
       最近やっと自由にできるようになったから……」

咲久良   「あー、主婦さんじゃ確かに気軽に遊びにいけないですよね」

千恵里   「でも今は独身。
       先月、円満に離婚できたんだ」

咲久良   「そうなんですか。じゃあこれから自分の時間大事にしていきましょー!」

千恵里   「うん。……あれっ?」

咲久良   「どうしました?」

千恵里   「あの……そのピアスって、もしかして……」









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