逢魔時の黒猫 〜母と娘の手鏡〜

作:早川ふう / 所要時間 30分 / 比率 1:2

利用規約はこちら。 少しでも楽しんでいただければ幸いです。2012.11.11.


【登場人物紹介】

友里(ゆり)
  幼い頃、事故で母を亡くし、父子家庭で育つ。
  思春期になり、色々と思い悩んでいる。

黒猫(くろねこ)
  黒猫。最初の台詞は動物の姿での台詞。
  特定の状況下で、人間の姿となり、人と会話することができる。
  飄々としていてつかみ所がない。

里江子(りえこ)
  友里の母で、享年27歳。
  公園で遊んでいた友里が道路に飛び出し、それを庇って亡くなった。


【配役表】

友里・・・
黒猫・・・
里江子・・・



友里    夕焼けは、嫌い。

黒猫   『ニャー』

友里    猫も、嫌い。

黒猫   『ニャー…』

友里    でも、自分自身が、一番、嫌い。



黒猫    逢魔時(おうまがどき)、…それは、一日が終わろうとする夕暮れ時。
      昼であって昼でなく、夜であって夜でなく、
      二つの時が交わり歪みが生まれる時間……。
      私が私となれるのも、この僅かな時間しかありません。
      あとはもうひとつ、条件が揃えば、人の前に現れることができるのですがねぇ。



友里    あたしは毎月この日は絶対に、
      公園のベンチに座ってこの時間を過ごしている。
      何の為に…?
      それはもう自分でもわからなかった。

里江子  『……ッッ!!! ゆりちゃん!!!!!!!!!』

友里    思い出す、母の声…。
      記憶の彼方、忘れたくても忘れられない、うぅん、忘れちゃいけない声。
      最近、写真の中の母にだんだん似てきたと言われるようになった。
      鞄から母の形見の手鏡を出して、覗き込む。
      ……写真の中の母は優しく微笑んでいる。
      でもあたしは………あたしの顔には何もナイ。



黒猫   「こんにちは」

友里   「っ!? あ、あなたいつのまに隣に座って……」

黒猫   「やだなぁ、ずっと座ってたじゃないですか」

友里   「えっ、だってさっきまで隣にいたのは……」

黒猫   「私がいたでしょう? ずっと……」

友里   「馬鹿言わないでよ、ここにいたのは黒猫……!」

黒猫   「そう。私は黒猫です。
      あなたのおかげで、久々に人の姿になれました。
      やっぱりこの姿はいいですね、人と会話もできますし」

友里   「何、言ってるの?」

黒猫   「猫のままだと、人ではないものとしか会話ができなくて。
      それも楽しいっちゃ楽しいんですが、
      たまには人と話したいじゃないですか」

友里   「頭おかしいんじゃないのあんた……」

黒猫   「あんた、じゃなくて、黒猫ですよ」

友里   「あたし、冗談に付き合えるほど暇じゃないから。
      あっち行ってくれる?」

黒猫   「暇じゃないんですか? 座ってるだけのように見えますが?」

友里   「っ……うるさいな! 話したくないって言ってんの!」

黒猫   「まぁまぁそう言わずに」

友里   「変質者だって警察呼ぶよ!?」

黒猫   「お好きにどうぞ? ただ、私の姿は貴女にしか見えないので、
      警察から変に思われるのは、貴女ですよ」

友里   「えっ?」

黒猫   「ああ、ちょうどいい。
      地面をよく見てご覧なさい。あるはずのものがないでしょう」

友里   「!! 影が、ない……!?」

黒猫   「この時間、私という存在を必要としていて、
      且つ、私が人の姿になれるモノを持っている人にしか、
      私の姿は見えませんし、会話することだってできませんからね」

友里   「なに……どういうことなの……」

黒猫   「まぁいいじゃありませんか。
      人生、不思議体験のひとつやふたつあった方が面白いでしょう?」

友里    自称・黒猫はそう言って笑う。気味が悪い。
      でも、それすらもどうでもいいやと思う自分もいた。

黒猫   「……いい、鏡ですねぇ」

友里   「え?」

黒猫   「とても綺麗な力が宿ってますね、その鏡」

友里   「鏡が? え、なに?」

黒猫   「ご存知ないですか? 鏡には霊力が宿るって。
      日本では昔から伝えられてるはずですけど」

友里   「聞いた事ない」

黒猫   「時代の流れですかねぇ……それも仕方ないのかな。
      近頃じゃ、綺麗な力の宿っている鏡も少なくなりましたし……」

友里   「それがどうかしたの?」

黒猫   「私が人の姿に戻るためには、“鏡の力”が必要なんですよ。
      貴女の鏡のおかげで、私が今ここにいるというわけです」

友里   「へぇ……」

黒猫   「嘘なんかじゃありませんよ? 私は真実しか言いませんからね〜」

友里   「これ……母の形見なの」

黒猫   「そのようですね」

友里   「わかるの!?」

黒猫   「ええ。これはお母様が、貴女のお父様と結婚するときに、
      貴女のお祖母様から嫁入り道具として譲り受けたものです。
      代々大切に受け継がれてきたんですね。
      幸せな鏡だなぁ。だからこんなに綺麗な気で満ちているんだ……」

友里   「今はあたしなんかが持ち主だけどね」

黒猫   「貴女が結婚して娘さんに恵まれるまで、大切にしてくださいよ。
      こんなに綺麗な鏡は滅多にありませんよ」

友里   「結婚……、そのときまで、あたしが生きていればね」

黒猫   「ご心配なく。……私がいますから」

友里   「はぁ?」

黒猫   「死にたい、って思ってるんでしょう?
      貴女はずっとこの公園に通ってる。
      その度に、強く思っていましたね?
      死にたい、死にたい、と」

友里   「そんなことまでわかるの……?」

黒猫   「私を必要としている人は、大抵そういう人ですからね」

友里   「あなた、何者なの……」

黒猫   「私はただの黒猫ですよ。
      でも悲しいことに、人は私を【死神】と呼ぶことが多いかな」

友里   「死神って、会話できるんだ……」

黒猫   「だから私はごく普通の黒猫なんですよ?
      ただ私の役目っていうか、お仕事と、持っている力故に、
      そういう呼ばれ方をされるんでしょうね」

友里   「……仕事、って?」

黒猫   「逢魔時、死にたいと思う人間、そして、力の宿る鏡。
      条件が揃って初めて私は人の前に現れることができるんですよ。
      その人間の願いを、叶えるために」

友里   「願い……」

黒猫   「だから死神って呼ばれちゃうんですよね。
      死にたいと思う人間としか出会えないのに、
      その人間が何を望むかなんて、決まってるじゃないですか。
      まったく、なんでこんな仕事なんだか……」

友里   「じゃあ、あたしが死にたい、って言ったら、
      叶えてくれるってこと?」

黒猫   「そうなりますね。死を与えることは結構簡単ですから。
      でも、ちゃんと理由は訊かせていただきますよ?」

友里   「話さなきゃいけないの?」

黒猫   「鏡は人の姿を映すものですが、実はそれだけじゃぁない。
      過去の記憶だったり人の心の奥底までも映している。
      私はそんな“鏡の力”を操ることができるんですよ」

友里   「あっ……鏡が光って……!」

黒猫   「もし貴女が死にたいと願うのなら、その理由(わけ)を、
      見せてもらいましょうか……」

(間)

里江子  『ゆりちゃん、もうそろそろご飯の時間だから帰りましょう』

友里   「えっ!? ……お母さん!?」

里江子  『まだ遊びたいの? しょうがないわねぇ……じゃああと少しだけよ』

友里   「……あれは、あれは……あたし……!?」

黒猫   「小さい頃の貴女は、笑顔が眩しくて実に可愛らしい。
      貴女の死にたい理由は、こんな過去にまで遡るんですか?」

友里   「お母さん……お母さんっ……」

黒猫   「優しそうなお母様ですね」

里江子  『ゆりちゃん、お砂場で何作ってるの?
      ……そう、カレー作ってるの、おいしそうねぇ』

友里   「優しかった……いつも、優しかったよ」

里江子  『喉渇いたの? じゃあお茶持ってきてあげるから、ここにいてね?
      お茶をのんで、お砂のカレー食べてお片づけしたら帰りましょう?』



友里   「……っ、だめ! だめ!!!」

黒猫   「どうしたんです?」

友里   「いや! 見たくない!!!!」

黒猫   「どうしました?」

友里   「あたし、この後、……お母さんを殺しちゃうの……!!」

黒猫   「ほう、殺す……?」

友里   「あたし……あたし……!!!」

里江子  「……そうね。お母さんの言うことを聞いてくれなかったわね。
      ここにいてね、って言ったのに」

友里   「お母さん……!?」

里江子  「お砂場でカレーを作っていたのに、
      どうしてあのちょっとの時間で公園から出て行ったの?」

友里   「あ……ぁ……ごめんなさいっごめんなさいッッ!!」

里江子  「あなたが車道に出て行かなければ、あんな事故は起きなかったわね」

友里   「あたしが気をつけてれば……あたしが猫を追いかけなければ……!」

里江子  「わたしはあなたを庇って、死なずにすんだ」

友里   「あたしのせい……全部、全部……あたしのせい!!!」

里江子  「そう、全部あなたが言うことを聞かなかったせい」

友里   「ごめんなさい!! あたしのせいでお母さんは……お母さんは……!」

里江子  「まだ小さいあなたを一人で育てなきゃいけなくなって……
      お父さん大変だったでしょうねぇ……あなたのせいで」

友里   「つらかった! 誰もあたしを責めないのがつらかった!!
      あたしが全部悪かったのに!!!」



黒猫   「……だから、死にたいと思ってるんですか?」

友里   「そうよ。だから死にたいの!
      あたしは人殺しなのに! 生きてる価値なんてないのに!」

黒猫   「貴女は、生きることが、そんなにつらいですか?
      貴女は、生きる価値が、ないんですか?」

友里   「人殺しだよ……? あたしお母さん殺しちゃったんだよ……?
      生きる価値なんてないでしょ……?」

黒猫   「生きる意味すらも、見つけられないんですか?」

友里   「生きる意味……?」

黒猫   「罪を背負って生きるのも、一つの生き方です。
      それに意味を見出すも見出さないも、貴女次第。
      貴女は、本当に、死にたいんですか?」



里江子  「わたしを殺したあなたなんて、死んでしまえばいい!」

友里   「っ……! ごめんなさいお母さん、……ゆるして……ゆるして……」

里江子  「ゆるさない、絶対にゆるさない」

友里   「死ぬから!! あたし死ぬから!! だからゆるして……!!!!」



黒猫   「……少し、苛めすぎてしまいましたかね」

友里   「うっ、っく……ぅぅ……(泣きじゃくる)」

黒猫   「……困りましたねぇ。
      私は泣いている女性というものが何よりも苦手だというのに。
      苛めたのは私、と言えなくもないですから、
      これでも罪悪感が残るんですよ?」

友里   「(更に泣く)」

黒猫   「ご存知でしたか? 鏡って不思議なものなんですよ。
      あなたの手鏡だとわかりにくいでしょうから、
      大きな姿見を見てみましょうか」

友里   「……鏡が……」

黒猫   「特別ですよ。普段ここまでサービスなんてしないんですから。
      さて、今あなたの目の前にある鏡には何が映っていますか?」

友里   「ひどいカオしたあたし…」

黒猫   「そうですね。
      さあ、涙をふいてください。ハンカチをどうぞ」

友里   「……(受け取る)」

黒猫   「今あなたが右手で受け取ったハンカチ、
      鏡のなかの貴女は、どちらで持っていますか?」

友里   「左……」

黒猫   「現実の貴女とは左右が逆でしょう?
      “鏡”というのは、決して自分の真実をそのまま映し出すわけではないんです。
      この世界も、現実とは逆を映しているんです」

友里   「逆?」

黒猫   「言うなれば、すべてが正反対の世界なんです」

友里   「正反対……」

黒猫   「そうです。
      今、貴女は、正反対の世界にいるんです。
      貴女の過去の記憶と、現在の想いとが作り出した、
      幻影の世界と言ってもいい。
      貴女のお母様は、“いつも優しかった”んじゃ、なかったんですか?」

友里   「……そう。優しかった……」

黒猫   「思い出したようですね」

友里   「じゃあ、さっきのお母さんは……?」

黒猫   「“鏡の世界”でのお母様です。
      あなたが聞いたお母様の言葉は、真実ではない」

友里   「でも……あたしをゆるさないって……」

黒猫   「それは貴女が作り出した死にたい『理由』に過ぎない。
      自分が死ぬからゆるして、と貴女は言いましたね?」

友里   「うん……」

黒猫   「貴女は、お母様を死なせてしまった自分が赦せなかった。
      寂しくて、つらくてたまらないのに、
      罰が与えられないからいつまでも罪の意識から逃れられない」

友里   「死んだらゆるしてくれるとも思ってないんだけど、
      ……生きていていいとはどうしても思えない……」

黒猫   「貴女は、死にたいと思ってるわけじゃない。
      死ななければいけない、と思ってるだけ、違いますか?」

友里   「……そうかも、しれない」

黒猫   「ハイ、これでひとつ答えが出ましたね」

友里   「答え?」

黒猫   「貴女は死を望んでいるわけではないということです。
      貴女の望みは、赦されることだ」

友里   「そんなの無理じゃない! だってお母さんは死んじゃってるんだよ?!」

黒猫   「……無理かどうかは、貴女の持っている鏡の力次第ですね。
      今度は、真実をみてみましょう」

友里   「真実を?」

黒猫   「姿見を背にして、……貴女の手鏡を覗いてみてください。
      今度は、真実が、みえますよ」



里江子  「ゆりちゃん、どうして泣いているの?」

友里   「お母さん……」

里江子  「死にたいなんて思っちゃだめ。
      こっちに来るのはまだ早すぎるでしょう?」

友里   「だって。あたし、……あたしは、お母さんを……」

里江子  「あの事故はゆりちゃんのせいじゃないのよ。
      まだ小さいあなたから目を離したのはお母さんなんだから」

友里   「だって! あたしが猫を見つけて追いかけなければ……
      公園の外に出なければ……お母さんは死なずに済んだのに!!」

里江子  「ゆりちゃんは猫が大好きだものね。動物が好きな優しい子。
      お母さんが一番よく知ってるのよ」

友里   「ごめんなさい、ごめんなさいお母さん!」

里江子  「……ねえ、ゆりちゃん、覚えてる?
      ゆりちゃんはお母さんのことも、大好きだっていっぱい言ってくれたわね。
      お母さんも、ゆりちゃんのこと大好きよっていっぱい言ったのよ」

友里   「……うん。……覚えてる」

里江子  「よかった。忘れられてたらそれこそお母さん悲しくて泣いちゃう。
      だからね、ゆりちゃん。……わたしは、あなたを守れて嬉しいのよ」

友里   「え……」

里江子  「大好きな大好きなあなたの大切な大切な命だもの。
      守ることが出来て、嬉しいの」

友里   「嬉しい……?」

里江子  「でもゆりちゃんは優しいから。
      わたしが死んでしまったせいで、ずっと苦しんできたんだね。
      ごめんね。……死んじゃって、ごめんね」

友里   「なんでお母さんが謝るの?」

里江子  「ゆりちゃんに、もっといろんなこと教えてあげたかった。
      お勉強も、お料理や、お裁縫なんかも。
      大きくなったあなたと買い物したり、好きな子のお話なんかもして、
      あなたをいっぱい愛して、育ててあげたかった……」

友里   「お母さ、ん……っ」

里江子  「短い間しか一緒にいることできなかったけど、
      何もあなたにしてあげられなかったけど、
      でも忘れないで。わたしはゆりちゃんが大好きだから」

友里   「あたしは……悪いことしたあたしが死ねばよかったって、ずっと思ってた……
      大好きなお母さんを死なせちゃってごめんなさいって、
      ずっと……ずっと謝りたかった!!」

里江子  「子供が親より先に死ぬっていうのはね、“逆縁の不幸”っていって、
      親にとって、とってもとってもつらくて悲しいことなのよ。
      ゆりちゃんが死ななくて本当によかった、心からそう思ってる。
      ふふ、これで少しは母親らしくあなたに教えることができたかしら?」

友里   「じゃああたし……生きていていいの……?」

里江子  「もちろんよ。生きて、幸せになってちょうだい。
      生きる喜びを、知ってほしいの」

友里   「生きる喜び……」

里江子  「わたしはね、ゆりちゃん。
      お父さんと結婚して、あなたを産んで、あなたを育てることが出来て。
      あなたと出会えて、とても幸せだった。
      あなたを守って死んだことも……何一つ後悔なんてしてないの」

友里   「お母さん……」

里江子  「わたしは、人よりは短い人生だったかもしれない。
      でも、生きる喜びをお父さんに、そしてゆりちゃんに教えてもらった。
      とても、とても、幸せだったのよ。
      だからあなたも、幸せになってちょうだい」

友里   「お母さん……!」

里江子  「ゆりちゃん、大好きよ……!」

(間)

黒猫   「……友里さんの願いは叶えられ、現実に戻りました。
      これで、よかったんですよね? 里江子さん」

里江子  「ええ。……ありがとう、黒猫さん」

黒猫   「私は私の仕事をしただけですよ。
      強いて言えば、あの“鏡”のおかげじゃないですかね」

里江子  「あの子があれを持っていてくれてよかったわ」

黒猫   「それも全て運命。
      里江子さんがあの日死ぬことも、友里さんがこれから生きていくことも」

里江子  「嘘つきね」

黒猫   「嘘? 私は真実しか言いませんよ」

里江子  「あの日、死ぬ運命だったのはあの子だと言ったじゃないの」

黒猫   「おや、私そんなこと言いましたっけ?」

里江子  「“鏡の力”で、わたしの願いを叶えてくれたときに、
      確かにそう言ってたわよ」

黒猫   「あっるぇ〜? そうでしたっけ?
      ふふふ……所詮私は“鏡の力”を使うただの黒猫ですからねぇ、
      正反対のことを言ってしまっても仕方ないじゃありませんか。
      それくらい大目にみてくださいよ。
      里江子さんの願いも友里さんの願いもちゃんと叶えたんですから」

里江子  「そうね、……本当に、ありがとう……」



友里    あたしは毎月、この日は絶対に、
      公園のベンチに座ってこの時間を過ごしている。
      ……何の為に?
      今は、あたしも笑えてるよ、毎日を、頑張って生きてるよ、って、
      お母さんに報告する為に。










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