伊右衛門ラブ!!

作:早川ふう / 所要時間 30分 / 比率 2:1

利用規約はこちら。 少しでも楽しんでいただければ幸いです。2013.09.17.(2021.6.29.改稿)


【登場人物紹介】

里中美由紀(さとなか みゆき)
  20代なかばの会社員。しっかり者だがどこか抜けている。
  天然ボケが炸裂したり、ある意味ボケ殺しなツッコミを入れたりする。

店主
  美由紀がたまに通う居酒屋の店主。外見はお父さんといった雰囲気の初老男性。
  初老も色々あるので、お好きにどうぞ。女性でやりたい方は女性版をご利用ください。

新田伊右衛門(にった いえもん)
  成仏できない侍の幽霊。享年二十九歳。叫び台詞多め。
  一人称が某(それがし)なので注意。


【配役表】

 美由紀・・・
  店主・・・
伊右衛門・・・ 



伊右衛門  眠らない夜の多い現代。
      草木も眠る丑三つ時……とはいかないが、
      夜も更ければ、人通りの少ない薄暗い道のひとつやふたつはあるわけで……。
      それ即ち、某(それがし)のような現世に縛られた退屈な身でも、
      楽しみを得られるというもの……。
      命を獲るわけではござらぬ。
      ただすこぅし、脅かしてやるだけでござるよ……。



美由紀   「あー、今日も残業疲れたなぁ……。
       この時期は仕方ないけどしんどいなぁ……」

(携帯の通知音)

美由紀   「ん? 携帯……あー、恵理が更新してるってことは、男が変わったな。
       お気楽で羨ましいですねー……っと……」

(何かを蹴ってしまい重い音がする)

美由紀   「あれ、何か蹴っちゃったな。ゴミにしては大きい気が……」

伊右衛門  「そこな娘」

美由紀   「え、何? 今の時代劇口調の台詞は??」

伊右衛門  「某の……(ものすごーく怖がらせようという気満々で)
       首を返せええええええええええええええええええ!!!!!」

美由紀   「首? ……あっそっか、首蹴っ飛ばしちゃったんだ」

伊右衛門  「えっ?」

美由紀   「痛くなかった?」

伊右衛門  「いや、その、痛くはござらぬが……」

美由紀   「ごめんね、ちょっと汚れちゃったかな」 

伊右衛門  「いやそれはその、某元々綺麗な出で立ちとは言えぬ故……」

美由紀   「(首を拾い上げて)はい、首どうぞ。
       簡単に落としちゃだめだよ、大事なものなんだからさ」

伊右衛門  「あ、これは、かたじけない。……ではなくて!!」

美由紀   「え?」

伊右衛門  「そなた何故斯様に平然としておるのだ。
       怖がらないのでござるか?」

美由紀   「怖がる? なんで?」

伊右衛門  「そっ、某はっ、首を落として……」

美由紀   「忘れ物って、誰でもしちゃうものじゃない。
       まぁさすがに首を忘れるってなかなかないけどさ。
       あ、うちの弟も忘れ物多かったから、他人事と思えないのかも!」

伊右衛門  「某は、弟という年齢ではござらぬ」

美由紀   「お侍さん何歳なんですか?」

伊右衛門  「二十九でござる」

美由紀   「あ、そう。じゃあ弟とはだいぶ離れてるね」

伊右衛門  「……ちなみにそなたの年齢は?」

美由紀   「女性にその質問はセクハラです」

伊右衛門  「これは失礼……。
       ……って違あああああう!!!」

美由紀   「違くないよ、セクハラだってば」

伊右衛門  「その話ではござらぬ! 何故そなたは某と普通に話すのでござるか!!」

美由紀   「え……何故もなにもなくない?
       私がお侍さんの落とし物を拾って、
       お侍さんはそれを受け取って、そのついでに話をしてる。
       なにもおかしいことないと思うけど」

伊右衛門  「その落し物が、生首という事実を思い出してほしいでござる!!」

美由紀   「あ。どうして首がないのに胴体から声がしたのかは、ものすごーく疑問なんだけど」

伊右衛門  「そこは、気にしないでほしいでござる……」

美由紀   「あ、そう? わかった、気にしないでおくね」

伊右衛門  「かたじけない。……ではなくてぇ!
       おなごの身でありながら、
       首の落ちた血まみれの着物姿の某と臆することなく話せるなど……
       もしやそなた、妖(あやかし)の類か!?」

美由紀   「私ただの事務員だよ。勝手に妖怪にしないでください」

伊右衛門  「事務員、というと……おーえるでござるか」

美由紀   「そうそう。お侍さんよくOLなんて言葉知ってるね」

伊右衛門  「某も伊達に永く彷徨ってはおらぬゆえ。
       しかしながら、斯様に遅い時間までお勤めまことにご苦労でござったな」

美由紀   「あ、ありがとう……」

伊右衛門  「現代の世は、おなごですら外でのお勤めに励まねばならぬ。
       さぞ、お疲れでござろう」

美由紀   「うん……最近ほんと、きつくてさ……」

伊右衛門  「左様な時に某の首なんぞで引き留めてしまい、相済まなかった」

美由紀   「うぅん、いいの。これから行くとこあったし。
       ……あ。ねえ。お侍さん。ちょっと一緒に行かない?」

伊右衛門  「は? ど、どこにでござるか」

美由紀   「私、馴染みの居酒屋にいくところだったの。
       もっとお話ししたいから、一緒に行こうよ!!」

伊右衛門  「居酒屋!? そ、某と!?」

美由紀   「だってお侍さんすごくいい人なんだもん!
       ねっ、おごるからっ、一緒に行こう!!」

伊右衛門  「えー!?」

美由紀   「あ、お酒飲めなかったりするかな?」

伊右衛門  「いや、その……さ、酒は嗜む程度には……ではなくて、その……
       本気でござるか!? 某はその、今更説明するのもおかしな話ではあり申すが、
       某は幽霊で……」

美由紀   「いいじゃない、話はできるんだから何も問題なし!!
       さあ行きましょう、こっちこっち!!」

伊右衛門  「えっ、ちょ、わわ! お、お待ちくだされぇぇぇっ!!」

(間)

(古びた居酒屋に入っていく美由紀。伊右衛門はまだ店の外にいる)

店主    「いらっしゃい」

美由紀   「おじちゃーん、久しぶりー!」

店主    「美由紀ちゃん。こんな時間まで仕事だったのかい?」

美由紀   「うん。まだもうちょっと忙しいの続くんだけどさ、
       今日まで頑張った自分へのご褒美に来ちゃった。
       美味しいごはんとお酒で明日からも頑張れるように充電するんだー」

店主    「そうかい、お疲れさまだねえ。
       ちょうど客足がひいたところだったし、ゆっくりしていきな」

美由紀   「ありがとう」

店主    「礼を言うのはこっちだよ。
       美由紀ちゃんが来なきゃ店閉めようかと思ってたくらいなんだから。
       最近とんと客足が鈍ってて困っちまう。
       さ、いつもの席お座りよ」

美由紀   「あ、あのねおじちゃん。
       もう一人、いるんだけど、いいかな」

店主    「珍しいね、お友達かい?」

美由紀   「友達……っていうか、さっき知り合った人なんだけど」

店主    「美由紀ちゃんがナンパするなんて珍しいねえ」

美由紀   「ちがっ、そういうんじゃないよ!
       でもなんていうか、気が合ったっていうか、もうちょっと話したいなと思って
       それでここに誘っちゃったの」

店主    「いいねぇ、美由紀ちゃんの遅すぎる春!」

美由紀   「そういうんじゃないからね、もう!
       あ、どうぞどうぞ、入ってきてよー」

伊右衛門  「いや、その、……やはり遠慮するでござるよ!
       きっと驚かれるでござろうし……」

美由紀   「あー、おじちゃん。ちょっと変わった人なんだけど、いいかな?」

店主    「美由紀ちゃんの連れてきた人なら、歓迎するよ」

美由紀   「大丈夫だって! ほら!」

伊右衛門  「……では、失礼して……」

(伊右衛門、暖簾をくぐって店内に入る)

店主    「おやっお侍さんじゃないのかい!
       お侍さんにまで来ていただけるなんて、商売するもんだねえ!」

伊右衛門  「御店主まで!!
       どうして血まみれで首を両手で抱えてる方を気にしてくださらぬのか!!」

美由紀   「面白いし、とってもいい人だったから、一緒にお酒飲みたいと思ってさぁ。
       無理矢理連れてきちゃったんだよね」

店主    「美由紀ちゃんらしいねぇ。
       ああ、でも確かに他にお客さんが来たら驚くかもしれないから、
       今日はもう表の暖簾もおろして、灯も消しておこうかね」

伊右衛門  「某のせいで申し訳ない……」

店主    「なぁに、気にしないでください。
       じゃ、ちょいと表に出てきますから。
       すいませんね、お酒のひとつも出さないままで」

伊右衛門  「いや、某のことは御気になさらず」

美由紀   「ありがとうおじちゃん!」

(店主、外に出る)

伊右衛門  「御店主は……何というか、器の大きな方でござるな」

美由紀   「うん。みんなのお父さんって感じの人だよね。
       私も、ここでおじちゃんと話してるとすごく落ち着くんだ」

伊右衛門  「父上、か。
       某の父上は御店主とは真逆で、とても厳しい方であったなぁ……」

美由紀   「でもおじちゃん、怒るときは怒るしすっごくこわいよ。
       私も何回か怒られたことあるんだけどさ」

伊右衛門  「そうでござるか」

美由紀   「それよりお侍さん、……あー、えっと、
       今更なんだけど、私の名前は里中美由紀。
       お侍さんは?」

伊右衛門  「新田伊右衛門でござる」

美由紀   「いえもん?!」

伊右衛門  「いかにも……伊右衛門でござるが、何か?」

美由紀   「あははははははははははははははは!! 伊右衛門!!」

伊右衛門  「そ、某の名前、どこかおかしいでござるか……!?」

美由紀   「だって伊右衛門……あははははははは伊右衛門って!
       本木雅弘じゃん! 超似てない!! あはははは!!」

伊右衛門  「もとき……? 某は新田でござる。
       美由紀殿は何故そのように笑っておられるのか……」

(店主戻ってくる)

店主    「どうしたんだい。外まで笑い声聞こえたけど」

伊右衛門  「御店主、いや、某にもさっぱりと事情が飲み込めず……」

美由紀   「だって! だってだっておじちゃん!
       このお侍さんの名前があああああははははははははは!!」

店主    「名前がどうかしたのかい?」

伊右衛門  「某が名乗ったら急に美由紀殿が笑い出して……」

店主    「美由紀ちゃんのツボに入る名前だったのかい?」

美由紀   「名前ッ名前っ、もうおかしいんだもんあははははははははは!!!!」

店主    「お侍さん、失礼だけど、そんなに珍しいお名前なんですか?」

伊右衛門  「この現代では珍しいやもしれぬが。
       あー、某、新田伊右衛門と申す直参(じきさん)でござる」

店主    「伊右衛門!?
       ああなるほどねぇ、美由紀ちゃんが大笑いするわけだ」

伊右衛門  「何か理由があるのでござるか」

店主    「美由紀ちゃん、伊右衛門好きだったもんねぇ」

伊右衛門  「は??」

店主    「ああえっと、伊右衛門さんのことじゃあなくて……
       美由紀ちゃん、今日も鞄に入ってるんじゃないのかい?」

美由紀   「ああうん、入ってる入ってるー!
       えーっと……ほら、これ!」

(美由紀、鞄からペットボトルを取り出し、カウンターに置く)

伊右衛門  「某の名前? こ、これは!?」

店主    「伊右衛門、っていう名前のお茶なんだよ」

伊右衛門  「お茶でござるか!」

美由紀   「そうなの! だからもうおっかしくって!!
       色んなお茶があるけど、私は伊右衛門派なわけ。
       一番好きなんだよね、絶対伊右衛門!
       こればっかりは友達と喧嘩しても譲らない、
       何があっても伊右衛門派! 伊右衛門ラブ!!」

店主    「美由紀ちゃんはこだわりが強いからねぇ」

美由紀   「もーこれ運命だね! そう思わない!? ねぇ!?
       さっすが伊右衛門さんだよ、気が合うわけだよ、
       こんな出会いなかなかないよ!!!」

伊右衛門  「某も幽霊となって随分とたつが、斯様な出会いは初めてでござる……」

店主    「さて、じゃあ、この不思議な出会いに乾杯といこうかね。
       美由紀ちゃんはビールでいいの?」

美由紀   「うん!!」

店主    「伊右衛門さんはどうされます?
       幽霊だと、物にさわれなかったりするってよく聞くけども
       そこらへんはどうなんだろう」

美由紀   「さっき伊右衛門さんの首蹴飛ばしちゃったし、
       腕ひっぱってここまで来たから大丈夫なはずだけど」

店主    「美由紀ちゃん、伊右衛門さんの首を蹴飛ばしたのかい!?
       相変わらずそそっかしいねぇ」

美由紀   「えーーー、でもちゃんと謝ったもーん……」

店主    「はぁ……。
       ああ伊右衛門さん、お酒やお食事は大丈夫ですか?」

美由紀   「あっでも伊右衛門さんて、首と胴体離れてるよね!?
       ってことは食べてもすぐ喉から出てきちゃうんじゃ!?」

伊右衛門  「いやそこは問題ないでござるよ。
       この首は一応身体に戻せるので、酒を飲むことは可能でござる。
       まぁ某は幽霊である故、元々食事をしなくともよいのでござるが」

美由紀   「なーんだ。その首戻せるの!?
       あ、でも気を抜くとすぐ落ちちゃうとか?
       今度は落とさないように気をつけてね?」

伊右衛門  「あ、ああ、それは、気をつけるでござるよ……」

店主    「伊右衛門さん、何飲まれます?」

伊右衛門  「熱燗をいただけるだろうか」

美由紀   「おっ、しっぶーい! さっすが伊右衛門さん!」

店主    「あいよ。
       今日は店も閉めたことだし、わたしも飲もうかねぇ。
       いいかね伊右衛門さん?」

伊右衛門  「御店主さえよければ、某も酒を酌み交わしたいでござるよ」

店主    「ははは、ありがとう。
       じゃあ伊右衛門さんと一緒に熱燗を飲もうかね」

美由紀   「ねえおじちゃーん、今日のお通しなあにー?」

店主    「きんぴらだよ。今出すからね」

美由紀   「わーいきんぴら大好きー!」

店主    「伊右衛門さんは、何がお好みかな。
       といっても、現代の家庭料理で、
       伊右衛門さんの時代の食事と同じとはいかないけどね」

伊右衛門  「某は……厚揚げが、好物なのだが……」

店主    「はいはい厚揚げね。口に合うといいんだけど」

美由紀   「おじちゃんの料理はぜーんぶ美味しいから大丈夫っ」

店主    「ははは、ありがとね。
       あとは適当に見繕って出すよ。
       里芋の煮たやつと……肉じゃがも食べるかい?
       魚も出そうか」

美由紀   「玉子焼きも食べたいなー」

店主    「はいよ。いっぱい食べて、栄養つけなね」

美由紀   「うん!」

店主    「とりあえず、先に乾杯といくかい?
       はい、美由紀ちゃん、ビール」

美由紀   「ありがとー!」

店主    「さ、伊右衛門さん、どうぞ」

(店主、伊右衛門のおちょこに酒を注ぐ)

伊右衛門  「かたじけない。……とと。では某も、御店主、どうぞ」
 
(伊右衛門、お銚子をうけとり、店主のおちょこに酒を注ぐ)

店主    「ああ、悪いねぇ、お客さんなのに」

伊右衛門  「いやなに、御店主が気にされることではなかろう」

美由紀   「ではァ! 私と伊右衛門さんとおじちゃんの奇跡の出会いと、
       美味しいお酒と料理にィ、かんぱああああああああああああい!」

伊右衛門  「か、かんぱい……」

店主    「乾杯」

美由紀   「(ジョッキビールを半分ほど飲んで)ぷはあああああああああああ!
        くううううううううううう! しみるうううううううううう!!!」

店主    「ペース早くならないようにね」

美由紀   「わかってまーっす! あーーー肉じゃが美味しいいい……!」

店主    「そりゃよかった」
 
伊右衛門  「これは……!
       御店主はどこぞの料亭で修行でも?」

店主    「まさか。そんな大層なもんじゃないよ。
       わたしが店で出してるものも、家庭料理ばかりさ」 

伊右衛門  「ご謙遜を!
       某、斯様に良き香りの酒を飲んだのは初めてでござる。
       それにこの厚揚げも、芋の煮たのも、まことに美味でござるな!」

店主    「ははは、ありがたいねぇ」

伊右衛門  「はー……身も心もあたたまるとはこのことか」

美由紀   「って言っても伊右衛門さん幽霊じゃーん! 死んでるじゃーん!
       身体だって超冷たいじゃーん!」

店主    「美由紀ちゃん! まったく、もう酔ったのかい?」

美由紀   「酔ってなーいでーす、ビール一杯飲んだくらいで酔いませーん!
       あ、おじちゃーん、あとは瓶ビールにするー! 冷蔵庫からとってきていい?」

店主    「ああ、いいよ」

伊右衛門  「……先ほどまで美由紀殿は、疲れからか顔色も悪かったのでござるが
       ここにきてからはああも格別な笑顔。
       美由紀殿にとって御店主は大切な存在なのでござるな」

店主    「だったらいいけどねぇ。
       ……美由紀ちゃんは田舎から出てきて、一人暮らしして頑張って働いててね。
       実家に仕送りもしてるって。今時珍しい、いい子なんだよ」

伊右衛門  「そうでござったか……」

店主    「ここに友達を連れてくる、なんてこともなくてね。
       服だっていつも仕事帰りのスーツだし。
       たぶん、遊んだりするお金もきりつめてるんじゃないかなって思うんだよ。
       ここにも頻繁にくるわけじゃないからね。
       他のお客さんの手前もあるから、
       少しお惣菜をサービスしてあげるくらいかな、わたしにできるのは」

伊右衛門  「御店主の気持ちは、きっと美由紀殿にも通じているでござるよ。
       だからこそ、美由紀殿は、財布が苦しくとも御店主の顔を見にくるのでござろう。
       仕事の疲れを癒してくれる存在というのは、大切なものでござる……」

店主    「そうだねぇ」

美由紀   「なーにー、何の話ー?」

店主    「仕事の疲れを癒す存在は大事だっていう話さ」

美由紀   「そうだよねー。ほんっと私ここで癒されてるもーん!
       お酒も料理も美味しいし! おじちゃんは優しいし!」

店主    「ははは、それならよかったよ」

伊右衛門  「……某は……、」

店主    「伊右衛門さん? どうかしたかね」

美由紀   「顔色悪いよ? 元からだけど」

伊右衛門  「……いや、何でも在り申さぬ。
       あー御店主。冷やで構わぬ故、酒をもっといただきたいのでござるが」

店主    「はいよ」

美由紀   「どうしたの? おじちゃんの料理、何か苦手なものあった?」

伊右衛門  「そうではござらぬ」

美由紀   「その顔。悩んでる弟と同じなんだけど……」

伊右衛門  「む、そうでござるか?」

美由紀   「何か悩みでもあるの?」

伊右衛門  「いやなに、楽しい酒の席で話すようなことではござらぬ」

店主    「こういう場だからこそ、話せることもあると思うよ。
       ああこの酒、わたしのとっておきなんだけど、一緒にいかがですか?」

伊右衛門  「御店主……。御心遣い、感謝致し申す」

美由紀   「おじちゃんは、私みたいな小娘のくだらない悩み事にも、
       ちゃんと真剣に答えてくれるいい人だよ。
       伊右衛門さんも、話せるなら話しちゃえばいいと思う」

店主    「美由紀ちゃん、自分のことをそんなに卑下するもんじゃないよ」

美由紀   「はーい」

伊右衛門  「……某は、……情けない男でござる」

店主    「何か、あったのかい?」

伊右衛門  「一生をかけて守ると誓った妻を、某は、死なせてしまった……」

美由紀   「奥さんを…?」

店主    「そりゃぁ……、つらかったねぇ」

伊右衛門  「某にもっと稼ぎがあれば、妻の病に効く薬とて買えたものを……
       某は武士としても、男としても、失格でござる」

店主    「……その出で立ちからして、切腹をしたお侍さんなのかと思っていたけど……」

伊右衛門  「いかにも。
       某はあろうことか妻のことをずっと診てくれていた医師を逆恨みし、
       往来で刃傷沙汰を起こした故……
       知人に介錯を頼み、妻の位牌を前に、腹を切ったでござる」

美由紀   「でも、成仏はできなかったのね……。
       あれ? そういえば自殺すると成仏できないとかよく聞くけど?」

店主    「伊右衛門さんの時代と現代とでは違うんじゃないかねぇ」

美由紀   「ふぅん……」

店主    「伊右衛門さんは、奥さんを救えなかった自分が赦せないのかい?」

伊右衛門  「……そうでござるな。
       全ては某の不徳の致すところでござる」

店主    「それが未練で、この世に留まっちまってるのかねぇ」

美由紀   「……ねぇ! 幽霊になってから今まで、奥さんの幽霊と会ったことってある?」

伊右衛門  「いや、一度も……」

美由紀   「やっぱり!」

伊右衛門  「やっぱり、とは」

美由紀   「奥さん、幽霊になってないんだよ!」

店主    「ああ……、奥さんは、成仏してるんじゃないかってことだね」

美由紀   「そうそう!」

店主    「なるほどね。
       もしもこの世に心残りや恨みなんかがあれば、
       それこそ、幽霊になって伊右衛門さんの周りにいるはずだものねぇ」

伊右衛門  「しかし……某の前にあらわれたくないのでは?」

美由紀   「そんなのあるわけないじゃん!
       伊右衛門さんの奥さんは、確かに短い間しか生きられなかったかもしれない。
       でも私、奥さんは、幸せだったと思うよ」

店主    「奥さんが亡くなったことで何百年も成仏できずに彷徨うほど、
       伊右衛門さんは奥さんを愛してたんだろう。
       今日会ったばかりのわたし達にだって伝わってるんだ。
       当の奥さんがわかってないわけがないさ」

伊右衛門  「そう都合よく考えても、よいのでござろうか……」

店主    「いいと思うよ、ねぇ美由紀ちゃん」

美由紀   「うんうん。
       ていうかさ、奥さんもしかしたら待ってるかもしれないよ!?
       天国……とは言わないか、えーっとえーーっと?」

店主    「極楽浄土?」

美由紀   「ああ、そっか!
       うん。極楽浄土の入り口でさ!
       伊右衛門さんが来るの、ずーっと待ってるんじゃないかな!」

伊右衛門  「みつが……某を……」

店主    「奥さん、おみつさんって言うのかい?」

伊右衛門  「みつは……某のような男によく尽くしてくれた……。
       それなのに某は、みつに……薬ひとつ買ってやれず、死なせてしまった!!」
       
店主    「人間には、寿命があるんだ。
       それは仏様にだって変えることのできない運命さ」

美由紀   「そうだよ。
       残された人は苦しいけど、つらいけど、
       ……でも、それがその人の寿命だったって受け入れるしかないの」

店主    「おみつさんだって、その寿命を受け入れた上で成仏したんだ。
       伊右衛門さん、あんた、いつまでその奥さんをひとりにしておく気だい?」

伊右衛門  「御店主……」

美由紀   「早く行ってあげたら?
       で、待たせてごめんっていっぱい抱きしめてあげればいいよ」

伊右衛門  「みつは……本当に某を、待っているのでござろうか」

店主    「ああ、きっと待っているさ」

伊右衛門  「御店主。……もう一杯、酒をいただけるだろうか。
       某、素面(しらふ)ではとても、とても……その……」

店主    「はははは。ほら、ぐいっといきな」

伊右衛門  「かたじけないっ!(ぐいっと飲み干す)
       ……お二人には、心から、礼を申し上げる……。
       いつの日か、また共に、酒を飲みたいでござるよ」

美由紀   「うん。今度は、おみつさんも一緒にね」

店主    「そうだね」

伊右衛門  「御店主の厚揚げ……みつにも、たくさん、食べさせてやりたい……」

店主    「ああ、その時は腕によりをかけて作るよ」

伊右衛門  「お二人に会えなければ、某はこれからもずっと、
       悪戯に人を脅かし、暇を潰して彷徨うだけであった。
       けれど、お二人のおかげで某は……」

美由紀   「伊右衛門さん……」

伊右衛門  「忘れないでござる……。お二人のことは、決して忘れないでござる!」

美由紀   「私も忘れないよ」

店主    「ああ、わたしも忘れない」

伊右衛門  「ありがとう………」


(間)
(伊右衛門が、成仏して消えるような雰囲気……のはずが。)


伊右衛門  「……あれっ?」

美由紀   「あれっ?」

店主    「おや?」

伊右衛門  「あー……確認いたすが、ここは極楽浄土でござるか?」

美由紀   「いいえ、ここは現代の居酒屋で間違いありません」

伊右衛門  「……ということは」

店主    「ということは……」

美由紀   「あー……あははははははは! もう笑うしかないね!!!!!」

店主    「……ちょっといい話したくらいじゃ、早々成仏できないんだねぇ……」

伊右衛門  「こんなのってないでござるよおおおおおおおおおおおおおおおおおお」

店主    「さ、さ、伊右衛門さん、酒を飲もうじゃないか。
       こういうときは飲むに限るよ!」

美由紀   「そうだよ、飲もう!
       飲んで嫌なことは全部忘れちゃおう!!!!!」

伊右衛門  「某はどうすればいいでござるかあああああああああああああああああああああ」

店主    「と、とりあえず、うちで働きながら……何とか成仏できる道を探すってのはどうだろうっ」

美由紀   「そ、そうだね! それがいいよ!」

伊右衛門  「人生神も仏もいないでござるううううううううううううう!!!!!!!!!」

美由紀   「いや、伊右衛門さん人生終わってるし。幽霊だし」

店主    「美由紀ちゃん! シーッ!!!」

伊右衛門  「みつに会いたいでござるううううううう!!!!
       みつうううううううううううううううううう!!!!」






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