たとえばふとした会話の途中、
君に「好きな人いないの?」なんて訊かれたらどうしよう、と
何度も何度も想像した。
もしそうなったら、何て答えようか。
「いないよ」とごまかした方がいいだろうか。
それとも「いるよ」と正直に言うべきだろうか。
しかし「いるよ」と答えたとして、
その次に「誰が好きなの?」と、
好きな人に関する質問が飛んでくる可能性は高いだろう。
さて、そこで何と答えるのが正解か。
その答えの出ない問いを、何度も繰り返し考えては、
まず、ふとした会話をしなければという根本的な現実に戻ってくる。
見ているだけでは何も始まらないとはいうけれど、
見ているだけで、今は満足だ。
恋人になりたいなんて畏れ多い。
まずは君と友達になってみたいという小さな願望があるのみだ。
春はまさに出会いの季節。
この気持ちは立派じゃないかもしれないが、
恋と呼ぶ感情に相違ないのだけれど、
こんな小さな恋の話は、友達にだって話せやしない。
つまらないと溜息を吐かれるのがオチだ。
下手したら恋であることすら否定されるかもしれないし、
友情にひびが入るのは避けたいところ。
秘密にしておく方が平和だ。
春はまさに桜の季節。
三月下旬からほんの少しの期間咲き誇るあの薄桃色、
実は、好きではなかったりする。
菊と並んで日本の国花でもある桜を好きではない、
それが少数派であることは、勿論重々承知しているのだが、
人の好みというものは、なかなかに曲げられないものだ。
花の美しさよりも、新緑の瑞々しさが好きなだけだし、
春を愛でる気持ちはあるのだから、どうかそっとしておいてほしい。
どうして皆は気付かないのだろう。
春のイチョウはあんなにも可愛らしいのに。
桜の蕾が膨らみ始めるちょうどその頃、
イチョウの枝からは、幾つもの小さい葉っぱが顔を出す。
小さくても、秋によく見るあの形のそのままで、
葉桜よりも若々しい緑がとても眩しい。
桜の花がすぐ散るように、
春のイチョウはすぐ、大きくなってしまうから、
可愛らしい姿はほんの少しの間しか拝むことはできない。
ゴールデンウィークの頃にはもう、よく知る大きさになっているのだ。
でもその緑は、大きくなるほどに鮮やかになる。
秋の黄色いイチョウもいいけれど、
春の緑のイチョウの力強い美しさが好きなんだ。
なんて、同じ感想を持った人と、出会ったことはないけれど、
自分なりに春を楽しんではいる、だからどうかそっとしておいてほしい。
こんな他愛もない話を、もし君とできたなら。
それはきっと、とても幸せなことに違いない。
願わくば次の春にでも。
隣に君がいてくれたなら。
たとえばふとした会話の途中、
君に「好きな人いないの?」なんて訊かれたらどうしよう。
その時には、素知らぬ顔で、「いるよ」と言おうか。
そして「誰が好きなの?」と訊かれたら、
「君が好きだよ」なんて言ってしまったりしてね。
もしそうなったら、君はどんな顔をするのかなあ。
この気持ちは間違いなく、恋というものでしょう。
誰に何を言われたって、恋に違いないでしょう。
今、君に会いたくて会いたくて仕方がない。
眩しい緑は今日も、笑うように風に揺れている。