小さな幸せ、ひとつ

作:早川ふう / 所要時間 5分

利用規約はこちら。少しでも楽しんでいただければ幸いです。2023.05.03


たとえばふとした会話の途中、
君に「好きな人いないの?」なんて訊かれたらどうしよう、と
何度も何度も想像した。

もしそうなったら、何て答えようか。
「いないよ」とごまかした方がいいだろうか。
それとも「いるよ」と正直に言うべきだろうか。
しかし「いるよ」と答えたとして、
その次に「誰が好きなの?」と、
好きな人に関する質問が飛んでくる可能性は高いだろう。
さて、そこで何と答えるのが正解か。
その答えの出ない問いを、何度も繰り返し考えては、
まず、ふとした会話をしなければという根本的な現実に戻ってくる。

見ているだけでは何も始まらないとはいうけれど、
見ているだけで、今は満足だ。
恋人になりたいなんて畏れ多い。
まずは君と友達になってみたいという小さな願望があるのみだ。



春はまさに出会いの季節。
この気持ちは立派じゃないかもしれないが、
恋と呼ぶ感情に相違ないのだけれど、
こんな小さな恋の話は、友達にだって話せやしない。
つまらないと溜息を吐かれるのがオチだ。
下手したら恋であることすら否定されるかもしれないし、
友情にひびが入るのは避けたいところ。
秘密にしておく方が平和だ。

春はまさに桜の季節。
三月下旬からほんの少しの期間咲き誇るあの薄桃色、
実は、好きではなかったりする。
菊と並んで日本の国花でもある桜を好きではない、
それが少数派であることは、勿論重々承知しているのだが、
人の好みというものは、なかなかに曲げられないものだ。
花の美しさよりも、新緑の瑞々しさが好きなだけだし、
春を愛でる気持ちはあるのだから、どうかそっとしておいてほしい。

どうして皆は気付かないのだろう。
春のイチョウはあんなにも可愛らしいのに。
桜の蕾が膨らみ始めるちょうどその頃、
イチョウの枝からは、幾つもの小さい葉っぱが顔を出す。
小さくても、秋によく見るあの形のそのままで、
葉桜よりも若々しい緑がとても眩しい。
桜の花がすぐ散るように、
春のイチョウはすぐ、大きくなってしまうから、
可愛らしい姿はほんの少しの間しか拝むことはできない。
ゴールデンウィークの頃にはもう、よく知る大きさになっているのだ。
でもその緑は、大きくなるほどに鮮やかになる。
秋の黄色いイチョウもいいけれど、
春の緑のイチョウの力強い美しさが好きなんだ。
なんて、同じ感想を持った人と、出会ったことはないけれど、
自分なりに春を楽しんではいる、だからどうかそっとしておいてほしい。

こんな他愛もない話を、もし君とできたなら。
それはきっと、とても幸せなことに違いない。
願わくば次の春にでも。
隣に君がいてくれたなら。



たとえばふとした会話の途中、
君に「好きな人いないの?」なんて訊かれたらどうしよう。
その時には、素知らぬ顔で、「いるよ」と言おうか。
そして「誰が好きなの?」と訊かれたら、
「君が好きだよ」なんて言ってしまったりしてね。
もしそうなったら、君はどんな顔をするのかなあ。

この気持ちは間違いなく、恋というものでしょう。
誰に何を言われたって、恋に違いないでしょう。
今、君に会いたくて会いたくて仕方がない。

眩しい緑は今日も、笑うように風に揺れている。





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